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「なるほど…」控室に陣取った歴戦の雄たちは、1分将棋の藤井聡太叡王に次々と唸らされていた

「なるほど…」控室に陣取った歴戦の雄たちは、1分将棋の藤井聡太叡王に次々と唸らされていた

第7期叡王戦第1局レポート

2022/05/11
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若手の感性による「相掛かり」

 午後1時41分、65分の大長考で出口の手が動く。打った歩を取っただけの普通の手だが、その後の変化を読みに読んだのだろう。今度は藤井が動かなくなる。控室では飛車が戻ってくる順を読んでいたが、藤井は59分近い考慮で桂を中央に跳ね出した。佐藤と私は「そう指すもんなんですか」とハモる。

「内藤先生(國雄九段)に、相掛かりは良い形を作って相手をニラミ倒すのが極意だ、と教わったんですが。今の相掛かりは私が知っている相掛かりじゃないですね。この将棋もここで桂を跳ねるのが両者の読み筋なんですね。これはまったく別のゲームです(笑)」

 そう語る佐藤の相掛かりといえば、羽生善治九段との竜王戦だ。1993年12月、羽生竜王との竜王戦七番勝負第6局、佐藤は研究に研究を重ねた相掛かり腰掛け銀を採用して4勝2敗で羽生を破り、初めてタイトルを獲得した。このとき羽生23歳、佐藤24歳だった。

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 本局の立会人、島朗九段にも話を聞いた。

「相掛かりというのは矢倉と角換わりに次ぐ第3の戦法だったんですよ。ひねり飛車が優秀だとか、引き飛車棒銀が流行とかありましたが、主流になったことは私が棋士になってから一度もありませんでした。ところが、今は週に10局も相掛かりが採用されている。ここ数年ですっかり変わりましたね」

「2人合わせても46歳ですか。若いですよね。将棋の感性が違いますよね」という佐藤の言葉に、島が「もうおじさんにはついていけません」と応え、50代3人(島1963年、佐藤・勝又1969年生まれ)は深くうなずいたのだった。

振り駒で先手となった藤井聡太叡王(写真右)は、相掛かりを採用した(写真提供:日本将棋連盟)

 さて将棋に戻る。長考合戦の末に出口が選んだのは飛車を桂と交換し、その桂で王手角取りをかけるという驚愕の手順を見せる。しかも、これでほぼ互角だとAIはいう。控室に戻ってきた佐藤と顔を見合わせ「ほんと別のゲームですね」。

西山朋佳白玲・女王は「出口さんはおっちょこちょい」

 ちょうどそのころ、西山朋佳白玲・女王が控室に姿を見せた。西山は女流王位戦五番勝負で里見香奈女流王位に挑戦中で、4月26日に行われた第1局では239手の大熱戦を制した。他の棋士から「西山さんお疲れさま」と声がかかる。

「流石に239手は過去最長手数です。疲れました」

 そう言って西山は早速将棋の検討に加わったが、あいにく佐藤や島が仕事で出払ってしまい、私しか相手がいなくなる。私では西山の早い読みについていけなかった。そして、その変化手順の読みや形勢判断は、感想戦で藤井が示していたのとほぼ同じだったのだ。

 出口について聞くと、

「出口さんとは同じ歳。私が大阪、彼が兵庫なので、小学校の頃から対戦していたんです。彼は小6で奨励会入会、私は中2入会なので2年後輩ですが、奨励会でも三段リーグでも対戦しました。

 楽観派で、順位戦で降級点をとったときも、“来期上がるから大丈夫”って笑っていて、そのとおり9勝1敗で上がったのは驚きました(笑)」

 私がロッカーの番号を忘れた話をして、「出口君はもしかしておっちょこちょい?」と聞くと、

「そうなんです。今日も後手番になったので、初手を先に指さないかと心配していました(笑)。サッカーやスノーボードなど運動も得意で、爽やかながら、おっちょこちょいですね」

 西山は午後5時前に、次の仕事があるということで名残惜しそうに去っていった。