藤井聡太叡王に出口若武六段が挑戦中の第7期叡王戦五番勝負が注目を集めている。藤井にとっては初めての(棋士番号が若い)後輩とのタイトル戦で、19歳のタイトル保持者と27歳の挑戦者という対局者双方の若さも、将棋ファンが熱する理由の一つだろうか。

 これまでの将棋界におけるタイトル戦は、年長の王者に次世代が挑むという構図が繰り返され、また同時に世代交代が行われてきた。しかし、19歳にして五冠を保持する藤井が頂点に立ったため、今回の叡王戦に限らず、当面は若手棋士が相打つタイトル戦が行われる可能性が高くなった。

両対局者の年齢を足した数字がもっとも小さかった番勝負は

 とはいえ、過去に若手同士が覇を競った勝負がなかったわけではない。そのような勝負でタイトルを持っていた棋士は、藤井のようにデビュー当初から次代の覇者として期待を集めていたのか。当時の様相と合わせて、若い俊英によって争われたタイトル戦を紹介していきたい。

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初めて「後輩」とのタイトル戦に臨んでいる藤井聡太叡王(写真提供:日本将棋連盟)

 タイトル保持者と挑戦者の年齢を足した数字がもっとも小さかった番勝負は、1990年に行われた第57期棋聖戦の屋敷伸之棋聖-森下卓六段(段位などはいずれも当時)のシリーズである。屋敷が18歳で森下が24歳だった。当時を振り返って、屋敷は以下のように語る。

「森下さんは各棋戦で勝ちまくっていたので、こちらとしては棋聖位を守るよりも挑戦する気持ちだったと記憶しています。(3勝1敗で)防衛できたのは、運がよかったです」

屋敷伸之九段。今年は弟子の伊藤沙恵さんが、9度目の挑戦で初めて「女流名人」のタイトルを獲得した ©文藝春秋

せめて1勝をしたいとの思いで指した結果が…

 藤井以前の最年少タイトル記録保持者が屋敷だが、その流れをみると、55期に17歳で初挑戦、翌56期に初奪取、そして上記の第57期が初防衛戦となる。55、56期での相手は、すでに大御所の域にあった中原誠十六世名人だ。

「初挑戦のときは、中原先生との棋聖戦でしたが、無我夢中で目の前の対局に打ち込んでいました。いろいろと不慣れなところもありましたが、いい経験、勉強をさせていただきました。その次の期はいい勝負をしたいと思い臨んだシリーズでした。しかし、2連敗スタートと厳しい出だしでした。

 せめて1勝をしたいとの思いで一局一局集中して指した結果が、幸運にも棋聖位奪取につながりました。中原先生も森下さんもどちらも強いですが、中原先生は相掛かりを中心に軽快ながらも重厚な指し方をしていたので、こちらも相掛かりを中心に研究していました。森下さんは矢倉を得意として、とにかく厚みを生かしてくる指し方をしていたので、対応するのに苦心した記憶があります。世代間の違いよりも、棋風や戦法、指し方に対する対応がやはり難しかったですね」