初対面の出口はロッカー前で困っていた
私が初めて出口にあったのは2019年9月、東京での順位戦だった。出口は午後8時半前には快勝していたのだが、対局室入り口のロッカーの前でうろうろしている。このロッカーは対局者が携帯電話等の電子機器を預けるためのもので、4桁の暗証番号を入力して水性ペンで名前を書いておくようになっている。ところが、出口は名前を書き忘れ、暗証番号どころかどのロッカーに入れたかすら忘れてしまったという。
彼に限らず、対局後に忘れ物をして帰ってしまう棋士はたくさんいる。
たとえば佐藤康光会長は傘を忘れるのが得意技である。私は会長が忘れていた10本近い傘を持って帰るところを目撃したことがある、というエピソードを後輩に話すと「私も見たことがあります」と言われて、さらにびっくりしたことがある。私が見たのは10年以上前で、後輩が見たのは1年前の出来事だったからだ。
また、あるとき連盟に行くと、某棋士の奥方がいて、「いつも主人がお世話になっています。主人が携帯を忘れて、今日主人が仕事なので代わりに取りに来ました」なんてこともあった。
しかし、入れた場所も暗証番号も忘れるとは……。受け答えが誠実で真っ直ぐな好青年、なおかつおっちょこちょい。それが出口の第一印象だった。
小学生時代の団体戦では2年連続全国準優勝
次に話を聞いたのは、支部会報記事のためのインタビューで、文部科学大臣杯小・中学校将棋団体戦についての取材だった。出口は小学生のとき、この団体戦で2006、2007年に2年連続全国準優勝している。
「第2回(2006年)の兵庫県選抜のときは、同じ学年の冨田君(冨田誠也四段)と一緒のチームだったんです。全国大会もずっと3勝2敗とチームワーク良く勝ち進んで、全国準優勝でした(※筆者注:第2回までは県単位の選抜チーム、第3回以降は学校単位のチームとなった)。
翌年は、通っていた明石将棋センターに同じ小学校の友達がいまして、その友達が初心者の子にお願いして3人で出場しました。西日本代表決定戦で、初心者の子が予選を通じて初めて勝ったんですよ。一緒に参加してもらっただけでもありがたいのに、初めての勝利で自分の将棋そっちのけで嬉しくなって。気がついたら自分の将棋が必敗になっちゃって、そこから粘りに粘っていたら、大逆転勝ち。3人とも勝って西日本代表になったんです。
アマチュア時代の一番の思い出が団体戦です。今でも冨田君と当時の話をしますよ。とても楽しかったですね」
さわやかな出口の人柄が伝わってくる良いエピソードだなと、支部会報に書かせていただいた。