田中角栄が首相の座を射止めたのは1972年7月。まもなく50年の節目を迎える。その手法は金権政治の象徴とされる一方、いまの政治家には期待できない豪腕ぶりから、数年おきに“角栄待望論”が巻き起こる。

 50年の時を経ても国民に語り継がれる田中角栄の“凄み”とは何なのか――。

 角栄をモデルにした人物が八面六臂の活躍をみせる小説『属国の銃弾』(文藝春秋)を上梓した作家の永瀬隼介氏が寄稿した。

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今年は田中角栄が首相に就任して50年

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“タフな日本人”田中角栄が持つ魅力とは?

「きみたち日本人はアメリカにこんな残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」

 場所は広島の原爆資料館。発言の主はエルネスト・チェ・ゲバラ。言わずとしれたキューバ革命の英雄である。

 革命後、新生キューバの国立銀行総裁として来日(昭和34年)した31歳のゲバラは、「原爆の犠牲者たちの霊を弔いたい」と独断で予定ルートを変更して原爆資料館を訪問。原爆慰霊碑に献花を行い、1時間ほど見学した後、同行した広島県職員にこの台詞を放っている。

――落雷にも似たゲバラの怒りの言葉をがっちり受け止め、押し返せるタフな日本人は田中角栄しかいないだろう――。

 拙著『属国の銃弾』の背景には、いち物書きの、こんな独りよがりの妄想があった。

属国の銃弾

 戦後の焦土で日本がひっくり返るような狙撃計画を企て、高度成長期の日本でゲバラの言葉に激怒し、覇権国家アメリカと渡り合い、日本国を自在に切り回す快男児を描くとしたら、モデルは田中角栄以外、考えられなかった。