あまりに馴染んで日ごろは意識もされない、街角のあのマンション。それが、実は「レジェンド物件」だとしたら――。
全国に16万棟あると言われるマンションの中でも、その後の建築をひそかに、しかし大きく変えた「記念碑的な分譲マンションたち」がある。そんな知られざるマンション史について、国内最大級の不動産鑑定スペシャリスト集団である東京カンテイの井出武・市場調査部上席主任研究員が紹介する。
第2回では、1960年代に建築されたヴィンテージマンションについて、写真や間取りとともに挙げてもらった。(写真提供:東京カンテイ。タイトルのカッコ内は「供給年/供給主体」)
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8 芝白金団地(1964年/日本住宅公団)
60年代は本格的な団地時代に入る前の時期にあたるが、郊外の団地建設が行われるようになるのは1968年頃から。それ以前のマンションは、都心部に建つモダンな高級物件の色彩が強い。
これらの中には立地が良く現在も「ヴィンテージマンション」として有名な物件が残っている。残念ながら建て替えになっている物件もあるが、半世紀を超えて後世に名が残っているのはどのようなマンションなのか、という点に注目して見ていこう。
「芝白金団地」(港区白金台)は、外観写真を見る限り(立地には特別感があるが)、見た目は郊外の団地と何ら変わらない。ただこのマンションは、その後のマンションの歴史において重要な役割を果たした側面がある。
詳細に調査した結果、現在の間取り表示「xLDK」が行われた最初の分譲マンションである。このマンションでは「2LDK」という表記であった。
ダイニングキッチンという間取りを“発明”したのは鈴木成文(建築学者、元神戸芸術工科大学学長)であるが、この考え方は戦前から京都大学で教鞭をとり、独自の「食寝分離論」を展開した西山夘三の思想が下敷きになっている。「日本の住まいが貧しいのは食事部屋が寝室として使われるからで、これを分離すべきである」というのが西山の考えであり、それを設計者として具体化したのが鈴木である。
鈴木は間取りの原型である公団の「51c型」を生み出し、「リビングダイニング(後のリビングダイニングキッチン)」と「寝室」の組み合わせによるマンション間取りの基礎を成した。
芝白金団地は、それまでの「○坪型」や「A型」「102号タイプ」という表記に代えて、現在は当たり前となっている間取り表記を導入した最初のマンションとなった。 4棟からなる全96戸の団地だが、2013年に最後の売事例が出た時は5000万円を切る価格となっていた。