同年7月13日、殺人罪で予審に付され、約9カ月にわたる予審判事の取り調べのすえ、翌1927年4月12日、有罪で公判に付されることが決定した。
理由は、小笛が生活困難に陥り、養女千歳が病弱で将来がおぼつかないうえ、廣川との関係を長く続けられないことを悲観。廣川に情死(心中)を持ち掛け、拒み切れなかった廣川は小笛の嘱託を受けて絞殺。犯行の発覚を恐れて千歳、喜美代、田鶴子の3人を殺害し、小笛の遺体を鴨居につるしたという嫌疑だった。
検察の判断の背景には3通の“遺書”が…
検察がそうした判断に至ったのには、彼らが証拠と主張するいくつかの遺留品があった。大朝が書いた机の上の「遺書」はその1つだ。
小笛が書いたと断定された「遺書」は3通。うち最も重要視された知人宛ての1通は、切り取った原稿用紙1枚に書かれていた。使われた紙は全部廣川の家にあったものだった。
遺書の内容は山本禾太郎「小笛事件」と、やはり事件に詳しい鈴木常吉「本当にあつた事 謎の小笛事件その他続篇」(1929年)とで細かい点に違いがあるが、「小笛事件」が「不明」とした部分まで解読している「本当にあつた事」に頼ろう。
フクダサンニタノム、アルシナモノワ、ヲテラニ、アゲテクダサイ、トモイチニワ、ハシモヤラナイデクダサイ、ヒロカワサンカイイキテワソワセマセンデ、フタリガシンデシマイマス、福田サンニ大島一重トモンチリメントヲ三枚アゲマス
チトセガカワイガ、マルタマチニ、コノコワワタシノタメニワナラナイト、イワレタノデ、ナンニモタノシミワナイ、ソレデヒロカワサント、フタリデシニマス
コフエ、ジョタロ
シヌユウテウソユウタライカヌヨ、チトセワアナタガコロスノデスネワタクシワサキニシニマスチトセタノム
実際に小笛はほとんどカタカナしか書けなかったという。「ヲテラ」とは菩提寺のことで、「トモイチ」は不和だった実子の森田友一のこと。「マルタマチ」は頼っていた祈祷師だったとされる。
3つの部分に分かれ、中央は黒鉛筆で、前後は赤鉛筆で書かれていた。「ジョタロ」の後に「廣川」の印鑑が押されていた。記述に矛盾するところもあるが、検察側は都合のいいところを取り上げて、落ちていた名刺と合わせて廣川有罪の根拠とした。
しかし、「ジョタロ」に印鑑という点だけみても、遺書として不審を抱かなければおかしいだろう。ほかに、大朝にもあるように、千歳の友達宛ての封書が2通。いずれも病弱を嘆いて将来を悲観したような、友人関係を気にしたような少女らしい文章だった。