予審判事が有罪とした最大の根拠
そして、予審判事が有罪とした最大の根拠は小南教授の鑑定結果だった。
小南教授は事件発覚の6月30日に現場に駆け付けて検視をしていた。千歳、喜美代、田鶴子の3人が何者かに絞殺されたことは疑いがない。問題は小笛の遺体の状況だった。鑑定書は「本当にあつた事」「小笛事件」にも記載されているが、ここは香川卓二編「法医再鑑定例」から鑑定書の要点を見よう。同書は小笛を「高松」姓にするなど、わずかに仮名の措置をしているが、現代文にして要約すると――。
小笛の遺体は、同家奥六畳間の東側の鴨居の中央からやや南側に寄った所に首をつった状態で、黒のしごき(兵児帯)によって下がっていた。頭頂は鴨居の一番下から約25センチ。両足は確実に鴨居か畳に触れており、両足の間に高さ約30センチの唐金火鉢と、それに沿って横倒しになった中型のまな板があった。
3つの可能性を検討した結果、出た結論は…
着物の着方なども、普段の小笛らしくなく乱れていて、他殺の見方を補強した。そして、解剖では最も問題となる首の索条痕(索溝と表現されている)についてこう記している。
(イ)ノドのすぐ上方をほとんど水平に走り、そこから下あごの隅に沿った後、上方に上がり、耳たぶの直下に接して終わる幅1.8センチの褐色のへこんだ皮膚変色が1本ある。
その(イ)の索溝から下方約2センチの所に幅約2センチの淡い赤紫色の索溝(ロ)がある。その左右の端は両下あご隅のすぐ下3センチの所に始まり、そこから発する2つの線はわずかに斜め内側に走り、(イ)とは平行せず、前方にわずかに開いた角度をとり、所々にヒエの粒かアワの粒の大きさの濃い紫色の皮下出血がある。
この左右の2つの線はほとんど首の中央から上方に向けて約120度の角度を成している。先端部には少しも索溝が見られない。(イ)(ロ)の間の皮膚には全く異常はない。
皮下出血が(イ)には見られず、(ロ)に顕著だったことからも、小南教授は「(イ)は死後あるいはそれに近い段階で生じ、(ロ)は生前に生じたとみなすのが合理的」と判断。3つの可能性を検討した結果、こう結論づけた。
私は、他人が小笛を絞殺し、その後、鴨居につるし、自分で縊死したように装ったとすることが最も妥当と考える。
小笛の遺体を直接見た鑑定医は小南教授1人。この鑑定が事件を論争と混乱に巻き込むことになる。もう1つ、廣川が事件の知らせを聞いて神戸から京都へ向かう車中で自責の念を吐露した手記がのちに「犯人」である証明とされたことも大きかった。