「検事が控訴した裁判で検事が無罪の論告」
廣川の保釈は認められず身柄は拘束されたまま、大阪控訴院での控訴審へ。1928年6月11日の第2回公判では、「檢事と辨護士間に 博士喚問で大激論」(11日発行12日付京都日日夕刊見出し)の展開に。
担当の角谷栄次郎検事が新たに3人の鑑定を申請した。うち1人は辞退。浅田一・長崎大教授と石川哲郎・東北帝大教授が認められ、2人の鑑定書は同年9月中に提出された。その結果は同年11月30日の公判で明らかにされた。
そこではまた驚くべき出来事が起きる。2面トップで報じた30日発行12月1日付大朝の記事の裁判長が鑑定書を朗読した部分を見よう。
石川博士の結論は『小笛致死の原因は自縊(自分で首をつること)であると推測する』とあって、一審・小南博士の鑑定書記載のような創傷や、検証調書記載の懸垂状態は自縊によって生じたとしても医学上、全く不合理でないとし、詳細の説明は一審の三田博士とほぼ同様。
浅田博士もまた、小笛の死は自縊で、懸垂状態からみて、頸部にある上下の索溝を生じたことは少しも矛盾がないとあった。
その後、検事の論告に移った。ここで大朝が主見出しにとった事態が発生する。
謎の「小笛殺し」事件で檢事無罪を論告す 「疑わしきは罰せず」と説く 條理をつくした角谷檢事
立ち合い角谷検事は
「本件は京都帝大前の一下宿に起こった、4人の命を亡くした重大な事件なので、一審でも当審でも慎重な態度で臨んだ。現場のありさまと記録によって確定し得るのは、千歳ら3人は他殺で、その犯人は小笛にあらざれば被告である。しかして、被告に不利な証拠は、表戸に下ろされた南京錠は被告が持っていたこと、現場に被告の名刺が散在し、遺書は被告のレターペーパーであること、被害者の食物消化状態からみて、被告が現場に居合わせたとみえる点、本件発生後の不自然な被告の手記など。有利な点は被告の一貫した否認、小笛がヒステリー的に『世間を驚かすような死に方をする』と口走った点、本件発生後の被告の冷静な勤務ぶりなどだ。一審で京大・小南、九大・高山、大阪医大・中田各博士はいずれも小笛の死因を他殺と鑑定したので、三田博士の自殺説をはじめ、有利な証拠を打破し得ると信じ、原審検事の控訴も当然と考えていたが、石川、浅田両博士の鑑定書を見るに及んで、疑いは濃厚ではあるが、積極的に被告の罪を断じることができなくなった。『疑わしきは罰せず』の格言に従って、無罪の判決があらんことを望みます」
と条理を尽くした思いがけぬ無罪の論告を終えた瞬間、満廷に言い知れぬざわめきの気配が。喜びを顔いっぱいにした被告も列席の足立、高山両弁護士も「何も申すことはありません」とあって、そのまま結審。閉廷となった。
大朝が書いた「疑わしきは罰せず」は「『疑わしきは軽きによるべし』という司法官の信条から」と述べたのが正しいようだ。いずれにしろ、検事が控訴した裁判で検事が無罪の論告をするという日本の法制史上、前代未聞の事態。