逆にタンやハラミなどは筋線維がタンパク質変性するまできっちり全体を加熱したほうが、持ち前のザクザクした食感を満喫できる。
すべての料理に通底することではあるが、焼肉にも「たったひとつの確実な正解などない」と考えたほうがいい。
ひとつ正解があるとすれば「安全」に焼くこと。レバーなどは内部まである程度火を入れる必要があるが、おいしくて安全を担保できる温度帯はきわめて狭い。少しでも火を入れすぎると食感になめらかさが失われてしまい、おいしく焼くのが難しい部位ではあるが、それでも安全に焼くことを心がけたい。
「乱暴な焼き方」と「乱暴に見える焼き方」の大きな差
調理の最終工程からサービス、喫食までを客自身が担当する焼肉はさまざまにある飲食業態のなかでも、客同士のコミュニケーションが求められ、それが前提となっている業態だ。
しかもおいしいものに対する執着は人によって差がある。食に執着のない人が、「俺は偉いのだ」「焼肉を知っている」と権勢を誇りたい(というか、見栄を張りたい)がためにトングを持ってしまうと、場の全員が不幸になってしまう。
たまに、ロースターの状態が調っていないのに肉を載せたり、慣れていないのに皿の肉をドバーッと焼き網の上に流し込んでしまったりする人がいる。体育会系の出身なのか、よほど腹をすかせているのかはともかく、そういう人はだいたい焼肉に対する愛情か、周囲に対する気遣いのどちらか(あるいは両方)が欠けている。
調理の最終工程を客自身が引き受ける稀有な業態といえば、ほかにも鍋料理や一部のお好み焼き店などでこうした業態があるが、欧米圏では客が調理の最終工程を引き受ける料理などほとんどない(あるとすれば、チーズフォンデュや、バーベキューの最後のマシュマロ焼きくらいだろうか。あれを調理というかどうかは別として)。
ところがまれに、乱暴な焼き方でもうまく焼けるケースがある。要は一定の条件を満たしてさえいれば、焼き方が多少乱暴だろうがおいしい焼き上がりになるのだ。とはいえ、偶然頼みではもったいない。「乱暴な焼き方」と「乱暴に見える焼き方」の間には大きな差がある。