「恵まれている」と思うからこそ言えない“言葉”
誰にも相談できなかった、というのは他のアスリートにも共通する課題だった。
元バレーボール日本代表の大山加奈さんは、周囲の期待や厳しい指導の中で心が追い詰められ、不眠やめまいの症状に苦しみ、精神安定剤や抗うつ剤を服用していた。
しかしそのことは、チームメートにも、家族にも話せなかったという。
「周りからすれば恵まれていると思うんですよね。注目を浴びることであったり、期待されることであったり、日本中の方に名前と顔を覚えてもらうことって。(同じバレーボール選手だった)妹やチームメートからすると、『カナはいいよね。うらやましいな』と思う対象だったと思うんです。なので『つらい』『苦しい』って言えないんですよね。つらさ、苦しさを共感してもらえる相手がいなかったのが、当時はとてもつらかったです。本当に独りぼっちになってしまったんです。
当時トレーニングルームが4階だったんですよね。何回か『ここから飛び降りたら楽になるかな』と考えたことは、正直あります。『薬も一気に飲んだらどうなるかな』と思ったこともあります」
「ライバルに弱みを見せられない」
「監督に知られたらメンバーから外されてしまう」
そういった心理が働き、トップ選手になればなるほど“誰かに相談する”ことのハードルは高くなってしまう傾向がある。相談できる相手がいないということは、どれだけ精神を追い込んでしまうことだろうか。
競技だけではなく、「人生そのもの」を考える
萩野さんは、調子を崩して休養に入ると決めた際、長年指導を受けてきた平井伯昌コーチに初めて自分の苦しみを打ち明けることができた。「お休みします」「精神的なところがあるかもしれないです」と伝えると、「ようやく本心を言ってくれたな」と言葉をかけられたという。「自分はスーパーマンじゃなくてもいいんだ」と、安心感を抱けた瞬間だったと萩野さんは振り返る。
その後、萩野さんはメンタルコーチをつけて相談するようになったと今回の取材で明かしてくれた。
「僕はすごくよかったと思います。メンタルトレーニングで一番印象に残っているのが、『自分の人生は何が何割を占めているか』というのを書き出したことなんです。水泳が占める割合は何割か、プライベートとか趣味に求める割合は何割かというふうに分けて。
いま一番自分が求めていることは何かを、競技だけじゃなくて人生そのものをグラフにしてまとめたんですよね。自分がやりたい人生を歩むために動いていこうみたいな感じだったので、すごく楽しかったです」
誰かを頼って、相談するという行為ができたことは、萩野さんにとって大きな転換点だったのかもしれない。
「オリンピックでメダルをとるかとらないかで、もちろん人生は大きく変わるとは思いますけど、『メダルをとらなかったら死ぬ』『オリンピックに行けなかったら死ぬ』とかそういう問題にはならない。今まで、後悔することやレース前に諦めたことがいっぱいあって、自分自身で情けないと思う瞬間はいっぱいありますけど、でも、それも全部引っくるめて『自分』なんだなと、今はすごく思います」