目の前に広がる地獄絵図
「町の中心部はこっちだ」
あきれたようにこちらを見ていたデニスが首をしゃくる。ここまでの一本道がさらに北に伸びてい……ない。なんや、これ? 霧モヤの天候もあいまって一種異次元の世界が目の前に広がっていた。
「ここがそうやったんや」
目の前にあったというか、なかったというか、ニュース映像で見たイルピン川と橋であった。
ここがウクライナ軍がロシア軍の首都への侵攻を遅らせるために自ら爆破したイルピン橋があったとこなのである。そのためイルピンから避難してくる市民は敵弾の下細いはしけを渡るしかなく、その地獄絵図は世界中に配信されていた。
それが今も目の前に広がっていたのである。
さらに今も、その細いはしけを渡って市民が避難し続けているのである。負傷者が担架で運ばれ続けているのである。
不肖・宮嶋、こんな稼業を40年続けてきたのである。その間自らが踏んだ修羅場の数を自慢する趣味は持ち合わせていないが、そのどれよりもカオスなのである。しいて挙げるなら東日本大震災直後に目のあたりにした大型船が山を登り船やバスが屋根の上に鎮座する超現実的な光景ぐらいである。
次々に運ばれてくる担架や負傷者に向けてシャッターを切り続ける。
担架を担ぐ救急隊員の視線や罵声が突き刺さる。
「のけ! こら! 邪魔なんじゃ!」
「何やっとんじゃー!」
「そのクソカメラごと川にたたきおとすぞ!」
人一人満足に通れないはしけやなかったら、ほんまに突きおとされかねない。違う。活気に溢れていたのではなかった、ここにいる皆が殺気立ち、それがこちらにむけられていたのである。くどいようやがこんな稼業を40年である。いろんな状況下で我々は顰蹙(ひんしゅく)を買ってきた。しかし今日ほど言葉がマジに聞こえたことはなかった。今ほど視線が痛い時はなかった。二重にした防弾チョッキも彼らの視線は防いでくれなかった。