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 8月20日午後10時半、支隊の尖兵が中川右岸から約10メートルに達すると、敵の照明弾が次々打ち上げられる中、敵の急激な自動小銃の射撃を受けた。一木大佐は河口付近に渡れる砂州を発見。21日未明、部隊主力は砂州に出て突撃を始めた。

一木支隊の兵士が戦死したイル川(中川)付近(「歴史群像」より)
一木支隊兵士が次々倒れたイル川(「プレジデント」より)

「日本人はね、ちょうど袋の中に入ったネズミと同じよ。1人も助からんよ。そういう戦いだもん」

 しかし、前方から猛烈な銃砲火が降り注ぎ、兵士の大部分は瞬時に砂州に折り重なって倒れた。「証言記録 兵士たちの戦争2」で生き残り兵士の1人は次のように振り返っている。

「日本人はね、ちょうど袋の中に入ったネズミと同じよ。うん、逃げて行けないんだもん。逃げもしない、隠れもしないで、袋の中に入ってるとこを、アメリカは自由自在に鉄砲撃つんだもん。簡単に死んじゃうさ。そんなもん、1人も助からんよ。そういう戦いだもん」

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イル川河口を埋めた一木支隊兵士の遺体(「丸」臨時増刊より)
1994年、元戦友と遺族によってイル川河口に慰霊碑が建てられた(「歴史群像」より)

 午前9時ごろにはアメリカ軍の戦車が登場。残存兵は砲撃と戦車の蹂躙でみるみる数を減らしていった。「一木大佐は既に打つべき手段もなくなったと感じて、午後3時ごろ、軍旗を奉焼して自決して果てた。部下の将兵の大部も、支隊長に従ってそこで壮烈な戦死を遂げた」と防衛庁防衛研修所戦史室編「南太平洋陸軍作戦 第1 ポートモレスビー・ガ島初期作戦」(1968年)は記述する。

失われた歩兵第二八連隊の軍旗(「北海道在郷軍人名鑑上川篇」より)

 一方、関口高史「誰が一木支隊を全滅させたのか」(2018年)は、一木大佐が銃弾を頭に受けて戦死したとしている。「日本陸軍の反攻米軍との最初の戦闘は、このように不幸、悲惨のうちに終わり、ガ島奪回の夢は一朝にして破れた。それはあまりにもあっけない敗北であり……」と「南太平洋陸軍作戦 第1」は書く。幽霊部隊が旭川に帰還したのはその夜のことだった。

日米両軍の攻防図。青が一木支隊、赤がアメリカ海兵隊の動き(「歴史群像」より)★→後編ガダルカナル
一木大佐は戦死後、少将に進級した(東京朝日)

ザァークザァークと砂浜を踏んでくる低い靴音がする。10人ばかりと思われる足音だった

 実は一木支隊の幽霊部隊はガダルカナルにも“現れて”いる。益田勝美・元法政大教授の「ガダルカナルの幽霊」=和島誠一ら編「日本歴史物語第8」(1955年)所収=はこんな話だ。

 一木支隊が全滅してから約半月後というから1942年9月上旬だろうか。新たに送り込まれた川口清健少将率いる川口支隊の駐屯地でのこと。2人の歩哨が警戒していると、ザァークザァークと砂浜を踏んでくる低い靴音がする。10人ばかりと思われる足音だった。

 歩哨の1人は「敵だ!」と思ったが、体中がゾーッとしてしびれたようになり、口も足も動かない。暗闇から現れたのは日本軍部隊だった。

 真ん中に軍旗を納めた袋を持った連隊旗手、周りに着剣した銃を担いだ護衛の兵士。それは軍旗護衛小隊だった。

 近づくと、旗手の少尉の頬から血が流れ落ちているのがよく見えた。みんな悲しそうな、このうえなく悲しそうな顔つきの、うなだれた護衛小隊は、誰も味方の歩哨に気も留めないでザァークザァークとゆっくりゆっくり闇の中に消えていった。

ガダルカナルに現れた「うなだれた軍旗護衛小隊」(「日本歴史物語第8」より)

「どこの部隊だろう」。歩哨は時間がたってからもう1人に聞いた。「どこだろうか。俺はどうもさっきから寒気がしてきたみたいだ」ともう1人は答えた。交代になってそのことを報告したが、上官は「うそをつけ」と真っ赤になって怒った。