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77年、運命の夏

「日本人はね、1人も助からんよ。そういう戦いだもん」惨敗、マラリア、餓死…ガダルカナル島で散ったある精鋭部隊と“その後”

「日本人はね、1人も助からんよ。そういう戦いだもん」惨敗、マラリア、餓死…ガダルカナル島で散ったある精鋭部隊と“その後”

幽霊部隊#2

2022/08/14
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 ガダルカナルから旭川に帰還した幽霊部隊は、そうした人命を軽視した愚かな戦争に対する無言の怨嗟の表れであり、80年後のいまも、あの戦争の本質について考える重要な素材なのではないか。

「実はこういう話は全国どこにでもみられる。まさに『戦時民話』なのである」

 ノンフィクション作家、保阪正康氏は2017年2月11日付毎日朝刊で「戦時民話」と題して一木支隊の幽霊部隊を取り上げ、「実はこういう話は全国どこにでもみられる。まさに『戦時民話』なのである」と述べた。

 確かに、「日本民話の会」編集の「民話の手帖」などには、さまざまな「戦時民話」が集められている。1943年5月のアッツ島玉砕の時は、守備隊の母体である旭川第七師団に向かって行進ラッパが繰り返し鳴ったとされ、同月の山本元帥戦死の際は、日本全国で火の玉が飛んだといわれた。

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初めて「玉砕」という言葉が使われたアッツ島でも怪異譚が生まれた(毎日)

 同年8月のキスカ島撤退では、アッツ島の方向から大勢の人間の歓声が聞こえたという証言がある。保阪氏は「昭和の戦争と独立 二十一世紀の視点で振り返る」(2013年)では「これまでいろいろな戦場体験を聞いてきて、いまだに心の隅に引っかかっていることがあります。それは幽霊の話なんです」と書いている。

キスカ島撤退でも奇怪な話が…(毎日)

「いままでこのたぐいの話はまともに扱われてきませんでした」

「われわれが見過ごしてきたこういう話も、心理学的に分析する必要があるんじゃないかと思うのです。そこには、兵士たちがあの戦争で抱えていた不満や追悼の念、生き残ってしまった負い目など、さまざまな深層心理が影響しているはずです。そのことを私たちはもっと思いやるべきではないでしょうか」

【参考文献】
▽示村貞夫「旭川第七師団」 総北海出版部 1984年
▽菅原進「一木支隊全滅 ガダルカナル島作戦 第七師団歩兵第二十八聯隊」 1979年
▽読売新聞大阪社会部編「新聞記者が語りつぐ戦争14 ガダルカナル」読売新聞社 1982年
▽田村洋三「彷徨(さまよ)える英霊たち 戦争の怪異譚」 中公文庫 2015年
▽古賀牧人編著「近代日本戦争史事典」 光陽出版社 2006年
▽防衛庁防衛研修所戦史室編「中部太平洋陸軍作戦 第1 マリアナ玉砕まで」朝雲新聞社 1967年
▽NHK取材班「太平洋戦争 日本の敗因2 ガダルカナル 学ばざる軍隊」角川文庫 1995年
▽NHK「戦争証言」プロジェクト「証言記録 兵士たちの戦争2」 日本放送出版協会 2009年
▽亀井宏「ドキュメント太平洋戦争全史 上」 講談社文庫 2013年
▽防衛庁防衛研修所戦史室編「南太平洋陸軍作戦 第1 ポートモレスビー・ガ島初期作戦」朝雲新聞社 1968年
▽関口高史「誰が一木支隊を全滅させたのか」 芙蓉書房出版 2018年
▽和島誠一ら編「日本歴史物語第8」 河出新書 1955年
▽辻政信「ガダルカナル」 養徳社 1950年
▽林三郎「太平洋戦争陸戦概史」 岩波新書 1951年
▽保阪正康「昭和の戦争と独立 二十一世紀の視点で振り返る」 山川出版社 2013年

「日本人はね、1人も助からんよ。そういう戦いだもん」惨敗、マラリア、餓死…ガダルカナル島で散ったある精鋭部隊と“その後”

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