世界全体の約1割にあたる111もの活火山を国土に有する日本。そのうち全国50の活火山については、気象庁による24時間体制の常時観測・監視が行われている。この50の活火山を選定している団体が「火山噴火予知連絡会」だ。

 言わずもがな、事前に危機に備えることは重要である。しかし、そもそも火山の噴火は“予知”し得るものなのだろうか。ここでは環境問題研究者である石弘之氏の『噴火と寒冷化の災害史 「火山の冬」がやってくる』(角川新書)より一部を抜粋し、噴火予知の現状、諸外国と比較した際の対策の違いについて紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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噴火予知の現状

「南海トラフ巨大地震」がいつやってくるのか。国民の最大の関心事のひとつだろう。

 天下を統一した豊臣秀吉が隠居所として京都の伏見城の建設を思い立った。このとき、普請をまかせた重臣の前田玄以(げんい) に「ふしみ(伏見)のふしん(普請)なまつ(ナマズ)大事にて候そうろう」(伏見城の建設にはナマズ対策をしっかりせよ)という地震対策を指示する書状を送った。これが最古の「地震予知」といわれる。

 ところが、伏見城は1596年に「慶長(けいちょう)伏見地震」によって倒壊し、秀吉は翌朝に北政所寧(きたのまんどころねね)とともに、命からがら逃げ出し近くの木幡山に仮の小屋を建てて避難生活を送った。秀吉の「予知」は的中したわけだ。

 地震や噴火は予知できるのだろうか。平成時代に入ってからも阪神・淡路大震災、東北地方太平洋沖地震、熊本地震、さらに御嶽山噴火と多くの犠牲者を出したが、発生を予知できなかった。

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 火山噴火と関係の深い地震から、その予知研究の歴史を追ってみたい。

 有志の集まりである「地震予知計画研究グループ」が1961年に結成され、その翌年に「地震予知研究計画書」と題する報告書を発表した。

 このグループの世話人には、坪井忠二(東大教授)、 和達清夫(初代気象庁長官)ら当時の地震研究の大御所が名を連ねている。報告書の緒言は「地震に関する研究が日本において始められてから、すでに80年近く(中略)、地震研究は着実に進歩した」とある。

 それ以来60年が経過した。はたして「着実に進歩」したのだろうか。