「必ず期限までにB2になる」と覚悟が決まった
――田中先生は女流棋士3級時代にコロナ禍で女流棋戦が延期されたことを考慮されて、女流2級に上がらなくては女流棋士資格を失う2年間という期限が3カ月ほど延長されています。研修会では延長はなかったのでしょうか。
田中 入会から期限の27歳の誕生日まで1年でしたから、研修会休会は痛いのですが、はっきりしたことは決まっていませんでした。東海研修会が休会になったのは再入会から半年後の2021年の5月。どれくらい長く休会になるのか当初は分かりませんでしたし、このまま指せずに終わるのかと心配でした。東海研修会の幹事の先生方は「出戻り」の私を温かく迎えてくれていて、1カ月の休会の後は「研修会が休みになって指せなかった分は不利にならないよう、なんとかする」とまで言ってくれました。
でも、私が27歳の誕生日までにB2に昇級できれば、すべて解決できます。幹事の先生に余計な負担をかけたくない。必ず期限までにB2になると心の中で誓いました。入会当初は再び女流棋士を目指すことに迷いがあったものの、覚悟が決まりました。圭さんはよく例会の日に「今日はどうだった?」とLINEをくれ、励ましてくれましたし、孤独な戦いではなかったです。
「将棋が指せることは当たり前ではない。幸せなこと」
――2度目の研修会在籍時には大会にも出られていましたね。
田中 女流プロ棋戦につながるマイナビチャレンジマッチや、リコー杯女流王座戦アマ予選がコロナ禍で中止になってしまったのはとても残念でしたけれど、実施されている数少ない大会には自分のモチベーションを上げるために出場しました。大阪で開かれた関西アマ女流将棋名人戦では準優勝。
嬉しかったのは、LPSAがオンラインで開催した女子アマ王位戦全国大会で優勝したこと。大きな大会での優勝は初めてで自信になりました。女流棋士が運営されていることにも興味を持ち、のちにLPSA入りを考えるようになりました。
コロナで研修会もアマ大会も影響を受けた。将棋が指せることは当たり前ではない。幸せなことだと思うようにもなりました。
――休会期間を除き、4カ月でC1、それから3カ月でB2に昇級しています。リーチをかけて崩れるような無駄星はありませんでした。勝負強さが上がったのではないでしょうか。
田中 それは上がったかもしれません。自分のわがままで再び女流棋士に挑戦しているのだから、長引かせて周りに迷惑をかけたくない。必ず女流棋士になるという気持ちが強くなったのが良かったと思います。コロナの流行が下火になると、何度か勉強のため関東に出ることもできるようになりました。節約のため夜行バスを使ったり、ネットカフェに泊まったこともあります。
最初の師匠だった木村義徳九段が亡くなられたこともあり、師匠は大野八一雄七段にお願いしました。埼玉にある大野教室では、大野先生や関係者の方にアドバイスや応援の言葉をもらいながら力をつけられたと思います。