「効率よく結果にたどり着く」という価値観
子供の頃は、有名校に入るにはどこの塾に入ればよいか、そして塾ではどのように勉強すれば最も効率よく、最短の方法で合格できるかを学ぶ。大学ではどのように過ごせば、良い成績がとれるか、そして一流上場企業に就職するためには、どんなボランティア活動をすれば評価が高くなるのか、また面接においてはどんな服装、態度、話し方をすれば、より効率的に採用通知を手にできるのかを知りたがる。
つまり、深く学ぶ、洞察するといったことは、ともすると時間の無駄と感じる。深く考えてみた結果、自分が期待する結論と異なるものであったなら、それまでに費やした時間が無駄であった、とする価値観が蔓延しているともいえる。こうした価値観が主流になると、学問を志す人は減り、「知っている結果」に対して最も効率よくスマートにたどり着く人たちだけが評価される時代になる。また一生懸命考えて物事を判断するのではなく、どこかにすでに結論が存在していて、その結論を早く知ろうとする、知っておかなければ世の中から遅れていくという不安や恐怖に追い立てられているのが現代人の姿だ。
「結論ありきを倍速で求める」のは企業社会も同様
そしてこの傾向は企業社会の中でも急速に広まっている。まず大企業の多くが、新規の研究開発投資を行わず、かつてのように自らが積極的に海外マーケットを開拓して世界最先端を歩むことをあきらめてしまっている。萎んでいく国内マーケットで、業界内でシェアを分け合い、冒険はせず、ため込んだ内部留保を金融マーケットなどで運用するだけで、本業では非正規社員を大量に雇用して、ルーティンワークを低コストで行うことで利益を嵩上げしているだけというのが実態だ。
つまり仕事の多くが、すでに結論がわかっているもの、成功してきたことを同じような方法で繰り返し、いかに効率よく実施していくかに注力していると言い換えることもできよう。
全く新しい分野での企画や開発では結論が見えていない。結論にたどり着くまでの間には数多くのバリアーがあり、失敗はつきものだ。膨大な時間と多額の資金を費やしても成功するとは限らない。困難な局面になればなるほど、課題について熟考し、ありとあらゆる可能性を追求していかなければならない。
ところが結論ありきを倍速で求める現代の日本人にとって、「見えていない結論」に挑むことはまっぴらごめんだ。失敗でもしたらこれまで自分が築き上げてきた世界が傷つき、想像していたはずの人生の結論が見えなくなってしまうからだ。