女流棋士のパイオニアとして知られる蛸島彰子女流六段(76)が、女性として初めて棋士養成機関の「奨励会」に入会したのは1961年のことだった。
あれから61年目の今年、里見香奈女流五冠(30)が新たな歴史の扉を開けるべく、棋士編入試験に挑んでいる。
「正直なところ、女流棋士の実力がここまで急速に上昇するとは思っていませんでした。最近の女流棋士の進化には驚いています」
そう語るのは里見五冠の師匠、森雞二九段(76)である。
「女性に負けるのは屈辱、といった男女差別的な考えはありませんでしたが…」
蛸島女流六段とは同年齢で、4名の女流棋士を弟子に持つ森九段に、女流棋界の知られざる秘話を聞いた。
「私が奨励会に入会したのは1963年、17歳のときです。奨励会試験(四級以上で受験)では2勝4敗と本来、不合格の成績だったところ、当時、奨励会の幹事だった芹沢博文先生(故人、当時八段)が『まあ入れてやりましょうよ。記録係も必要なことだし』と理事会にかけあってくれ、五級で入会を許されました」
昭和の鷹揚な将棋界を象徴するようなエピソードだが、入会後の森は記録的なスピードで昇級し、翌年には初段まで到達する。実はこのとき、森の昇段をいったん「阻止」したのが当時、唯一の女性奨励会員だった蛸島だった。
「こう言っては大変失礼ですが、正直に言えば、当時は蛸島さんに負けるという頭がありませんでした。彼女は女性会員ということで、指し分けでも昇級(通常は6連勝か9勝3敗が必要)という特別ルールが適用されていましたから、同じ一級でも実力は自分のほうが上と思い込んでいたのです。事実、それまでの対戦では負けたことがありませんでした」
ところが、いざ対局が始まると18歳の蛸島一級が強い。攻めが筋に入り、猛攻を受けきることができない。それまで破竹の勢いで昇級を続けてきた森にとって、あまりに痛い敗北となった。
「ショックでしたね。相手を軽く見ていたところがあったと思います。女性に負けるのは屈辱、といった男女差別的な考えはありませんでしたが、相手を見て油断した自分の甘さに腹が立ちました」