「あのときは、名人挑戦をかけて戦っていた順位戦で5連勝していたところ、有吉道夫八段(当時)を相手に必勝の将棋を自分のミスで落としてしまったのです。そのとき、もし挑戦することができた暁には、剃髪して対局に臨むと決めました。蛸島さんに負けたときも、坊主にして気合を入れ直したことで、いい結果が出ましたのでね」(森九段)
唯一の女性奨励会員として奮闘した蛸島は1966年、奨励会を初段で退会。その後、将棋の普及には女流棋士が不可欠と考えた当時の将棋連盟執行部の方針もあり、1974年に女流棋士制度が発足し、蛸島を含むアマチュア女性6名が「女流棋士」1期生として活動を始めた。
「当時、蛸島さん以外に将棋を指している女性など見たことがありませんでした」
森九段が1960年代から70年代の将棋界を回想する。
「私は奨励会に入る前、五反田にあった将棋道場で腕を磨いたのですが、客の大半は中高年の男性で、女性どころか若い男性すらほとんどいない。道場内は薄暗く、煙草の煙が立ち込める怪しげな雰囲気で、真剣(賭け将棋)も横行していましたし、間違っても女性が足を踏み入れるような場所ではなかった。私ですら入るのをためらったくらいですからね」
羽生善治九段が少年時代に通ったことで有名な東京・八王子の「八王子将棋クラブ」(2018年に閉所)が、道場を禁煙にしたことで話題になったのは1987年のこと。席主の八木下征男氏によれば「おそらく全国でも初の取り組みだった」というから、それ以前の将棋道場が、女性や子どもを寄せ付けない鉄火場のイメージを持たれていたとしても不思議ではない。
「まず女性が将棋に興味を持つきっかけがありませんでしたし、職業としての棋士ですらあまり認知されていない時代でした。現在の里見や西山朋佳さんのように、小さな女の子たちの目標となるような存在も当時はいなかったですし、女性の将棋人口は実質ゼロに等しかったと思います」(森九段)
11歳で奨励会に合格した林葉直子さんの衝撃
前述の通り、1974年にスタートした女流棋士制度だが、棋力の面ではアマチュア強豪レベルにとどまったため、新設された女流棋戦も当初はさほど注目を浴びることはなかった。状況に大きな変化が起きたのは1979年、蛸島に続く2人目の女性奨励会員が誕生したことである。
当時11歳、小学校6年生の林葉直子さん(元女流五段)がこの年、奨励会に合格。翌年には女流棋士としてもデビューし、1982年に史上最年少(14歳3カ月)で女流王将のタイトルを獲得する。美貌と実力を兼ね備えた林葉さんは「アイドル棋士」として大きな注目を集め、将棋をさほど知らない一般層にもその名は広く知れ渡った。
その後、全国小学生名人戦で準優勝した中井広恵(女流六段)も1981年にわずか11歳で女流棋士デビュー(その後奨励会にも入会)。さらに清水市代(女流七段、将棋連盟常務理事)が1985年に女流棋士となり「3強」の時代が始まる。林葉さんは奨励会4級、中井は2級まで到達し、棋力面で言えば、新世代の3強はそれまでの女流棋士を完全に凌駕し、世代交代を実現した。