将棋界では若手の登竜門とされる「新人戦」。第52期新人王戦決勝三番勝負は伊藤匠四段と古賀悠聖四段の戦いとなり、10月11日、伊藤が2連勝で初の棋戦優勝を飾った。

 両者は四段昇段が同期で年齢も近く、互いに意識する存在だろう。そのような相手に敗れた古賀だが、戦いを終えた姿にはさほど悲愴感が見受けられなかった。

新人王戦で対局した伊藤匠四段(写真左)と古賀悠聖四段(右) ©️相崎修司

 その一因として、あるいは準決勝の対梶浦宏孝七段戦のほうが、古賀にとってはより大きな勝負だったからかもしれない。梶浦に勝ったことで、古賀は四段昇段からの通算成績を20勝10敗(未放映のテレビ棋戦を含む)として、フリークラス脱出を果たしたからである。

ADVERTISEMENT

「棋士になってから1年かからずに脱出できたのは、自分の想定より速かったと思います。四段昇段の時には2年以内に抜けるのが目標でした」と、古賀は言う。

 古賀の四段昇段は2020年10月。第67回三段リーグで2度目の次点(3位)を取ったことで、フリークラスへ編入の権利を得て、これを行使したことによるものだ。

名人戦・順位戦に参加しない「フリークラス」

 そもそも、フリークラスとは何か。一言でいえば「名人戦・順位戦に参加しない棋士」である。順位戦では頂点の名人からA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組までの厳然とした階級に分かれている。各クラスそれぞれが1年を通したリーグ戦を戦い、成績上位者が上のクラスへ昇級、成績下位者は下のクラスへ降級となる。

 では、最下級のC級2組でも悪い成績を取ってしまったらどうなるか。C級2組では成績下位者の10名ほどに「降級点」がつけられるが、これを3回取るとC級2組からも降級してしまう。降級と言ってもC級2組より下の階級はないので、順位戦を指せなくなるのだ。昭和30年代は、現在でいう三段リーグに落とされて、奨励会員を相手に指していたケースもあった。

 最下級のクラスから落とすのはあんまりだということで、1981年度の第40期順位戦からC級2組の降級点はつかなくなったが、6年後の第46期には降級点制度が復活している。棋士の足切りをしないと、日本将棋連盟の運営に差し障るからだ。降級点制度の復活からすぐさま3期連続で降級点を取り、第49期から順位戦に参加できなくなった棋士もいる。