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「2年以内に抜けるのが目標でした」フリークラス脱出を果たした古賀悠聖四段を直撃取材

「2年以内に抜けるのが目標でした」フリークラス脱出を果たした古賀悠聖四段を直撃取材

そもそも将棋界における「フリークラス」って何?

2021/10/28
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 そして1994年に「フリークラス制度」が導入された。C級2組からの降級者の他に、「フリークラス宣言」をした棋士が所属するクラスとなる。フリークラス制度は、棋士が公務・普及を主眼において活動するために設けられた制度だ。年10局のリーグ戦を普及などの活動と両立させるのが難しいという場合に、棋士がフリークラス宣言をするケースがある。

 さらに1997年から、奨励会三段リーグで次点を2回取るとフリークラスへの編入が認められるようになった。これまで次点2回での四段昇段者は、古賀の他に、伊奈祐介七段、伊藤真吾六段、渡辺正和五段、渡辺大夢五段、佐々木大地五段がいる。

2011年10月26日の竜王戦、大野八一雄七段戦に勝って順位戦昇級を決めた伊藤真吾六段 ©️相崎修司

降級後復帰を果たした伊藤博文七段、島本亮五段

 同じフリークラスと言っても、降級組と宣言組では状況がまったく異なる。後者は一度宣言すると二度と順位戦を戦えなくなるのに対し、降級組は救済措置として所定の成績を上げれば順位戦に復帰できるのだ。条件は色々あるが、直近の30対局以上で勝率6割5分以上というものがわかりやすい。この条件を満たして降級後からの復帰を果たした棋士に、伊藤博文七段(2001年に復帰)と島本亮五段(2015年に復帰)がいる。

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 降級点制度が復活した当時、河口俊彦八段が「復帰のルールがあるが、これはあってなきがごとしで、その成績は不可能事である。そんなに勝てる力があれば降級点を三回も取るはずがない」と書いていた。これは河口八段のみならず、おそらくは棋界共通の認識だったろう。だからこそ、伊藤博と島本の復帰は称えられるべき偉業である。この両者以外にも、復帰まであと一歩に迫った棋士は数名いるが、惜しくも及ばなかった。

2019年9月11日の王座戦、対里見香奈女流四冠戦での伊藤博文七段 ©️相崎修司

史上初のフリークラス脱出を果たした伊奈七段

 そして次点2回組も同様の成績をあげれば、C級2組に参加することができる。伊藤博が復帰を決めた直前に、史上初のフリークラス脱出を果たしたのが伊奈七段だ。1998年4月、当時22歳の伊奈は次点2回でフリークラス編入となったが、2001年5月に昇級を果たすまでは多くの葛藤があったのではなかろうか。

 順位戦に参加できていないというのは、対局料などの待遇でも他の棋士と比較してだいぶ差がついていただろうし(仕方がないこととはいえ、単純に考えても10局分は少ない)、また当時の将棋年鑑では、後輩の順位戦参加棋士よりも格下のように扱われていた(さすがにこれはどうかと思われたのか、伊藤真六段以降の次点2回組はそのような扱いを受けていない)。