たとえば親が子どもに対して説教をしているとき。話していることは非の打ちどころのない正論かもしれません。丁寧な言葉を使っているかもしれません。しかし、親からすれば「いいことを言った」と思っていても、子どもからすると「何もわかってない」と思うことはよくあるわけです。
少年鑑別所での面会の様子などを見ていると、それが如実(にょじつ)にわかります。「親はいいことを言っているが、子どもはまったく信用していないな」と思います。
そういう親は「頑張れって応援してきたのに、うちの子は全然こたえようとしなかった」と言います。子どもは応援だと受け止められなかったのです。同じ言葉でも、受け止め方は同じではありません。180度違うことだってあるのです。そこに気づかなければなりません。
「頑張って」の言葉で意欲を持たせることはできない
「頑張って」という言葉は、「意欲を持て」という意味で使われることがあります。ナオトは小さい頃から勉強にも遊びにもあまり意欲的ではありませんでしたが、親が「意欲を持て」と言って持てるものではありません。「やる気を出せ」も同じです。
意欲=やる気は自分の内側から出てくるもので、他者が植えつけることはできません。ただ、意欲を促すことはできます。心理学ではこれを「動機づけ」といいます。
うまく動機づけをすることができれば、ナオトももっといろいろなことを頑張れたことでしょう。小学校の担任の先生は、ナオトの努力を褒めて勉強への意欲を促進することができていました。ところが、母親は褒めるどころか逆のことをしました。内心はほっとしているのに、「これくらいで満足するな」「もっと頑張れ」とたきつけるのです。
これではせっかく芽生えたやる気もそがれてしまうというもの。本当はこのときが大きなチャンスだったのです。頑張ってみよう、努力してみようと思って実際に行動したナオトのことを褒めてあげるべきでした。たとえ結果が良くなかったとしても、プロセスを褒めることで意欲は高まります。「頑張って」ではなく、「頑張っているね」「よく頑張ったね」と認めることが応援になり、意欲を伸ばすことになるのです。
頑張ったことさえ否定されたナオトは、努力することをやめてしまいました。その後、引きこもって生活をしながら、焦りはあるものの、自分で課題解決する意欲を持つことができません。そして友だちからの誘いをきっかけに、大麻に逃げることになりました。
まさに現実逃避です。現実から簡単に目を背けられ、忘れることができるものとしてすぐに依存することになります。こうなってしまうと、現実に向き合い課題解決への意欲を持つことはますます困難なのです。