1ページ目から読む
3/5ページ目

 私からすれば、自分は被害者でしかないのに、しかも加害者も分かっているのに、どうして私がお金を払わないといけないの? もうこんな学校なんて行く意味がない! それから学校に行かなくなりました。

――周りの方、お母さまや仲の良かったキムラさんに、相談したことはあったんですか?

中川:一切誰にも話さなかったですね。自分がそんな目に遭ってるなんて、知られるのが恥ずかしいし。絶対言えるわけないですよ。母にも、私が学校に行きたくない理由を話さないから、ただ行きたくないと思ったみたいで。「行け!」「行かない!」で大喧嘩をしたこともありましたね。

ADVERTISEMENT

 キムラにも相談しなかったけど、キムラは私が嫌がるような話は一切触れてこなかったです。キムラとは、大人になった今もずっと仲がよくて。『死ぬんじゃねーぞ』の本が出たときに、「あのとき、一緒にいてくれてありがとう」って伝えたんです。そのまま「でも、どうして私と一緒にいてくれたの? 私と一緒にいたら、キムラのカースト下がるじゃん」ってやっと言えて。

 でもキムラは「え~、一緒にいて、楽しかったからだよ」ってサラッと応えて。「でも、楽しくてもキモイじゃん」「んー、キモいけど、一緒にいて楽しかったし。それに、私には吹奏楽部って場所があったからね」って言われて。実は、私はこの歳になるまで、キムラが吹奏楽部にいたことを知らなかったんです。

 

 そこで、自分がいかに狭い世界の中で悩んでたんだなぁって思いましたね。母も、本を出してから「こんなことがあったの?」って知ったこともたくさんあったみたいです。

――よく、「卒業したら違う世界が待ってるよ」といった話をする大人もいますが。

中川:良かれと思って言ってくれてるのも分かってるんですけど。でも中2のときに「卒業したら~」なんて言われても、今がどれだけ毎日地獄か。あなたにはわからないじゃん!としか思えなくて。大人になったらブロックしたり、付き合わないこともできますけど、学校ってもうしょうがないじゃないですか。たまたま集まった何十人のなかで、生き物としての相性もあるし。無理ですよね。

オタクの人、たくさんいるじゃん…!

――その後は、通信制の高校に通いながら、芸能活動もスタートされました。紆余曲折あったかと思いますが、ネットやブログを始められて、その時間は救われたとか。

中川: 13歳のとき、今から20年くらい前に祖母からパソコンを買ってもらったんです。まだ、みんなの家にパソコンがある時代ではなくて、スマホはもちろん、ガラケーすら持ってない人もいる時代かな。

 そこで初めてネットの世界を覗いてみると、いわゆるオタクというか、趣味を貫いている人たちがいっぱいいるんだなって知ったんです。