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 長谷部さんは「只見線はダムと切っても切れない縁があるんですよ。会津川口駅から只見駅までは、上流の田子倉ダム工事の専用線として建設されたのが鉄道としての始まりです。ダムの完成後、専用線は旧国鉄の路線になりました」と話す。これはちょうど豪雨水害で不通となった区間に重なる。

 会津川口-只見の被災区間では三つの橋梁が流されるなどした。

 第5只見川橋梁(金山町)で橋の一部が流出。東北電力の本名(ほんな)ダムのすぐ下流にあった第6只見川橋梁(金山町)は、落下した橋の残骸が只見川の中に無残な姿をさらしていた。第7只見川橋梁(金山町)も流出の憂き目に。第8只見川橋梁(只見町)はかろうじて流出を免れたが、冠水して路盤が崩落するなどした。

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本名ダムのすぐ下流にある第6只見川橋梁。水害で流されたが復旧された(金山町)

 こうした惨状にもJRはなかなか復旧の腰を上げない。これに対して福島県などが強く復旧を働き掛け、当初は約85億円とされた復旧事業費の4分の1に当たる約21億円を地元自治体などが積み立てた。それでもJRは復旧に首を縦に振らず、工事費の3分の2を地元が負担することにした。

 さらに復旧後は、福島県が線路や駅舎などの施設を無償で譲り受け、維持経費は県と会津地方17市町村が出し合うことにした。つまり、復旧後のJRは列車の運行だけを担う「上下分離方式」にしたのである。これでようやく復旧工事が始まったのだが、市町村で負担額が大きいのは只見町の年間約1900万円、金山町の約1300万円などとなっている。

「私達住民の負担でJRの赤字が減るのだから、少しは配慮してほしい」と、役場の角田さんが考えるのにも無理はない事情がある。

 こうした財政負担が最も大きいのは福島県で、主導したのも福島県だ。県はなぜそこまで力を入れたのか。

八木沢地区の近くにある叶津川橋梁。運行再開を前に試運転の車両が走っていた。9月下旬撮影(只見町)

只見線は会津の水害からの復興のシンボルだった

 角田さんは「水害の少し前の2011年3月、東日本大震災と原発事故がありました。福島県は浜通り、中通り、会津の3地域に分けられますが、浜通りと中通りは震災からの復旧・復興が大きな課題になりました。そうした時に会津でも水害が起き、県は3地区でそれぞれ復旧・復興事業に力を入れます。只見線は会津の水害からの復興のシンボルとされていきました。もし水害がなかったら、全国の赤字路線と同じように、廃止が議論されていたかもしれません。逆に言うと、水害があったからこそ残ったのではないかと、個人的には考えています」と話す。

 只見線は被災前の2010年度、1日当たりの輸送人員が370人で、JR東日本の在来線67路線のうち66位だった。不通になった会津川口-只見間だけ切り取れば49人しかいなかった。