バス転換すると、確かに一時的には利便性が上がるかもしれません。でも、バスは住んでいる人の足という側面が強いから、観光客は乗りにくい。バスにした段階で観光客が来なくなってしまいます。観光客を呼んで地域が滅びるのを食い止めようとしているのに、これでは地域の活力が衰えてしまいます。
都会の若者の中には車を持たず、運転免許さえ取らない人が多くいます。そうした人に来てもらうには列車しかないと思いました」
どうすれば列車の重要性を分かってもらえるか。星さんは海外に目を向けた。外国人が注目すれば、地元の意識が変わるのではないかと考えたのである。
台湾の観光客が教えてくれた“地域の宝物”
その頃、星さんの絶景写真の発信で「撮り鉄」と呼ばれる人々が奥会津に来るようになっていた。が、「撮り鉄の皆さんは地元にあまりお金を落としてくれません。観光消費を増やすためにも海外からの誘客だったのです」と星さんは話す。
まず、中国の上海で3年ほど催しをした。
「反応はよくありませんでした。2011年3月に東日本大震災が発生し、福島県では原子力発電所が事故を起こしました。放射能汚染のイメージが強く、『福島』と言っただけで拒まれることもありました。そこで台湾はどうかと考えました。親日家が多く、震災が発生した時には大勢の人が募金などで日本を支援してくれました」
2016年から毎年、台湾でイベントを行った。只見線の写真展、只見線の魅力についての講演会、只見線の写真コンテスト。実際に奥会津まで足を運び、只見線を撮影してくれた人に応募してもらったのだ。
費用は自前だった。行政に「一緒にやろう」と誘っても乗ってこず、県の助成金を使って自分達で企画した。これだと2割の自己負担が生じ、約60万円を仲間と2人で折半した。
効果はすぐに出た。
「5年ほど前から台湾の観光客が大勢来るようになったのです。金山町の隣の三島町には只見線の撮影ポイントがあるのですが、ここにぞろぞろ歩いていく人が見られるようになりました。驚いたのは地元の住民でした。『海外からあんなに大勢の人が来る。只見線にはそれほどの価値があったのか。実は地域の宝物だったのではないか』と気づいたのです。
日本の田舎は車社会なので、道路を歩く人などいません。三島町が気を使ってバスを出してくれましたが、あまり乗る人はいませんでした。台湾の人は歩きたかったのです。特に冬、あちらでは降らない雪道を歩くのは一生の思い出になります。見慣れた只見線。見慣れた雪。人々はこれらに価値があったのだと気づいていきました」