「地元の変化」として星さんが挙げる例がある。
タイムスリップしたような集落跡を案内
奥只見では、毎年1月15日にサイノカミの行事を行う。お飾りのどんど焼きだ。
三島町のさらに隣の柳津町では、午後6時15分頃に火をつけていた集落があった。星さんは「6時15分ではなく、6時の15分ほど前に集まって火をつけてもらえないか」と区長に電話した。
会津柳津駅を午後6時前に発着する只見線の列車があり、どんど焼きが燃え盛る横を通れば、乗客が喜ぶ。どんど焼きと列車を写真に収めに来る人もいるのではないかと考えた。「ちょっとした工夫で面白くなるのです」と星さんは言う。
応じてくれるかどうかには、不安があった。1月15日は大相撲初場所の会期中だ。午後6時の15分前と言えば、ちょうど大関戦や横綱戦が行われる時間だった。「この辺の人は相撲好きで、テレビ放映を楽しみにしています。約50軒の集落で1軒でも反対すればどんど焼きの時間変更はできません。しかし、『只見線は地域の宝だからやりましょう』と言ってくれたのです」
どんど焼きを見るために列車に乗る人が増えた。写真を撮りに来る人もいた。そうした効果が知れ渡り、沿線の他の集落でも只見線の通過時間に合わせてどんど焼きをするようになった。「今や5集落で行われています」と星さんは目を輝かせる。
さらに、「只見線に乗りに来た人が遊べる場も必要」と、体験型の観光名所を作った。
星さんが生まれ育った集落は、既に触れたように鉱山跡の土砂崩れで壊滅した。だが、300年ほど前に建築された古民家や、観音様、お宮、地蔵などがまだ残っている。ここへ渡し舟が運行できないかと考えたのだ。移転前の集落では、10軒がそれぞれ舟を持ち、誰もが櫂を握って只見川の対岸まで渡っていた。星さんは久しぶりに櫂を握り、自ら船頭になって川を渡り、タイムスリップしたような集落跡を案内しようと企画した。
準備には3年も掛かったが、2011年5月に始めることができた。
辺りの川面には霧が出て幻想的な風景になる。その中を手漕ぎの舟で渡るのである。峡谷には名前がなく、自身で「霧幻峡」と名付けた。
だが、渡しを始めてから2カ月後の2011年7月、只見川は豪雨水害に見舞われた。只見線が寸断されただけでなく、星さんが手作りした船着場や舟も流された。
星さんは諦めなかった。6年がかりで復活させた。
「すると大人気になって、旅行サイトでは全国8位の人気スポットになりました。大型バスがどんどん来るようになったら、また新たな問題に直面しました」