文春オンライン

2022/10/17

genre : ニュース, 社会,

駅から離れて町を歩く。広小路を進むと5分と立たないうちに…

 ともかくこうしたわけで、秋田市の玄関口・秋田駅の周りには、比較的規模の大きな商業ビルがいくつも建ち並んでいるのだ。もちろん商業施設だけではなく、西口広場の傍らには秋田放送(ABS)、反対の東口にはNHK秋田放送局があって、他にもホテルやら何やら、いろいろと駅前に必要なものはひととおり揃っているという、そんな印象である。

 ここで少し駅から離れて秋田の町を歩いてみよう。秋田駅前から中心市街地の西側へのアプローチは、ふたつある。ひとつは中央通り、もうひとつは駅前広場北側から西に伸びる広小路だ。

 

 広小路を進むと、5分と歩かないうちに右手前方に大きなお堀が見えてくる。この堀を渡れば千秋公園といい、江戸時代までは久保田藩佐竹氏の居城・久保田城だった。つまり近世以来の秋田の町の“核”ということになる。お城の目の前の道が広小路というところにも、歴史的な由緒を感じるものだ。

「この川を境に町並みは大きく変わる」

 お城の前を横切って、広小路をさらに西に向かって進んでゆく。「エリアなかいち」と呼ばれる美術館などが集まった大型施設があり、大きなホテルがあり、そうしたところを進んでいくと、突き当たったところに細い川。旭川という名を持っているらしい。

 

 この川を境に秋田の町並みは大きく変わる。まずだいいちに、広小路も中央通りも駅前から市街地を貫く大通りのはずなのに、旭川をそのまままっすぐに渡ることはできない。いったん旭川沿いの通りに入り、そこからまた曲がって竿燈通りという大通りに入って西へと進んでいくことになる。

 旭川の西側、なかでも竿燈大通りから南側には小さな飲食店がひしめく秋田随一の歓楽街が広がっている。そのスキマにホテルがあって、昔ながらの商店もあって、歓楽街の合間を縫って西に向かうと今度はいくつもお寺が並ぶ一角へ。古い時代の言い方ならば寺町ということになろうか。

 入り組んだ路地を歩いて寺町を抜けると比較的大きな通りに出て、その通りと竿燈通りの交差点を山王十字路という。この道を北に行けば、かつて久保田藩の外港として賑わった土崎へと通じている。