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戦後に起こった激変。そのきっかけは…

 とはいえ、秋田駅が外町の市街地からは遠く離れた(といっても歩いて15分ほどではあるけれど)東のはずれということは変わらない。その頃、秋田駅を降り立った人たちは、まず駅前に陸軍の歩兵連隊を見て、まるで軍都のような印象を抱いたのかもしれない。

 それが変わるのは、戦後になってからだ。連隊の跡地にはヤミ市が広がるようになり、1948年には連隊跡地の一部を戦災引揚者連盟が払い下げを受けてバラック建ての駅前マーケットへと整備されてゆく。

 そしてそれがさらに「金座街」と呼ばれる商店街へと発展していった。また、一部は駅の南西にある秋田市民市場にまとめられるなど、秋田駅前はヤミ市をルーツにもつ新しい商業地に生まれ変わっていったのだ。

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 1961年には秋田国体に合わせてステーションデパートの入った新しい秋田駅舎ができ、駅前広場や中央通りの整備、駅前の区画整理なども進められた。

 

 そして1968年以降、「中央街区開発」として駅前の再開発が本格化してゆく。

 金座街は商店街としては立派でも、もとは戦後混乱期に生まれたヤミ市ルーツの商店街。わずか2.7ヘクタールに130近い店舗が凝縮されていたというから、それでは県都のターミナルの駅前としてはあまり胸を張れるものとはいえない……というわけで、中高層ビルを中心とした新しい駅前に生まれ変わることになったのだ。

 

 そうしていまの秋田駅前の風景が形となり、さらに1997年の秋田新幹線開業に合わせて駅舎も橋上化。おおよそこれにて現在の秋田駅が完成したのである。この間、“内町”にあった県庁舎や裁判所などの官公庁は山王十字路よりもさらに西に設けられた新市街地に移転している。