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91歳のマスターが営む純喫茶

 アーケードから脇道にそれると小さな喫茶店を発見した。「パーラーアコ」だ。営業しているのかと窓から中をのぞくと、カウンターに座るマスターと目があう。その瞬間、入ろうか逡巡していた私の背中が押された。

パーラーアコ外観

「ようこそ。ここはいい音でジャズが聴ける喫茶店です。ジャズが聴ける喫茶店はほかにあっても、“いい音”で聴ける喫茶店はなかなかないよ」

御年91歳のマスター、岡野さん

 迎えてくれたのはハツラツと喋る元気なマスター。店内にはマスター自慢のスピーカーが並び、豊かなジャズの音色が響いている。音響のことはよくわからないが、生演奏のような迫力あるサウンドは、素人の私でも“いいもの”であることくらいはわかる。

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美しい音色を届ける幻の真空管、WE300B

「これを見てちょうだい。これはアメリカ・ウエスタンエレクトリック社の真空管〈WE300B〉のアンプ。幻と言われていて、これを見にわざわざ来る人もいるんだ」

 好きなジャズをいい音で楽しみながら、客との会話を楽しむ毎日。御年91歳という驚異の若々しさは、好きなものに囲まれ好きなことをし続けることで保たれているのだろう。

店内はカウンターと奥にテーブル席が2つあるのみ

「いい音でジャズが聴ける喫茶店なんてほかにないんだから。小松には絶対に必要な店なんだ」

 パーラーアコは昭和43年に開店。20歳から兄と家業の紳士服店で働き、37歳のとき独立してパーラーアコを始めた。店内はそのころから変わらず、今年の11月8日で54周年を迎えた。訪れた日はちょうど周年を迎えたばかりで、カウンターには周年祝にとお客さんから送られてきた真紅のバラが飾られていた。

周年祝にお客さんから送られてきたバラ

「ごちそうさまでした! また来ます!」

 パーラーアコを出た頃には、私の影は夕日に照らされ随分と伸びていた。

唯一無二の風景が見られる商店街

 小松の駅前には新しく観光客を迎える準備ばかりが進んでいるのかと思ったが、少し歩けば県内唯一である道幅の広いアーケード、ぬか漬けが香る老舗で買う珍味、いい音のジャズが流れ元気なマスターがいる喫茶店、さらには創業90年以上経つ城の形のおもちゃ・人形販売店、絵画がたくさん飾られた美しいティールーム、店の文字がかわいい毛糸屋さん、アーケードを抜け振り返ると、大きなファサードには笑顔の太陽が描かれている……。

創業93年の老舗。おもちゃのキタセは城の形をしている

 どれも小松を彩るために欠かせないもので、どれも小松に来なければ見ることができない唯一無二の風景ばかりだった。これこそが私が見たかった旅情なのではないか。

入り口から雰囲気の素敵なティールーム泉。店内には絵画がたくさん飾られている
「ひがし」の濁点が花になっているかわいい看板

 住む人々にとっては当たり前の日常だが、私にとっては非日常の特別なまちである。ひとつの地方都市と言ってしまえばそれまでだが、じっくり歩けばおもしろい発見の連続で、歩いていると探究心と愛着がわいてくる。いつかまた、今度は祭りの季節に訪れたい、そのときは新幹線に乗って。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。