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《消える昭和遺産》日本最北端のキャバレーがついに閉店“店主が語る無念”と最南端のキャバレーを支える97歳"大ママ”の意地

《消える昭和遺産》日本最北端のキャバレーがついに閉店“店主が語る無念”と最南端のキャバレーを支える97歳"大ママ”の意地

genre : ニュース, 社会

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「東北最後のキャバレー」と呼ばれた山形県酒田市の飲食店「白ばら」が12月30日をもって閉店することを決めた。業態を変えながらも、バブル期を彷彿とさせるきらびやかな内装と広々とした間取りを維持して営業を続けてきたが、店主の健康状態と資金面で限界に至り、万策尽きたという。

 かつて日本中の歓楽街で栄華を極めたキャバレーは、娯楽の多様化の波におされ年々減少してきた。現在も営業中の店舗は全国あわせても片手で数えられるほどになった。そして今、昭和を彩ったネオンの灯りが、またひとつ消えようとしている。

古びた外観はアンダーグラウンドな雰囲気を醸し出す ⓒ文藝春秋 撮影・上田康太郎 

「東北最後のキャバレー」山形県酒田市の「白ばら」

「ごめんね。今日は見ての通りお客さんいないや」

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 10月末のある日。オープンから1時間ほど経った午後8時ごろに白ばらを訪ねると、薄暗い店内でソファに身を委ねた店主の佐藤仁さん(59)が力なくつぶやいた。赤や紫、緑の電飾がきらめくステージを中心に、扇形に広がるボックス席に人の姿はない。天井のミラーボールだけが陽気に回り、座る客のいないシートを照らしていた。

広々とした店内に一人たたずむ佐藤仁さん。取材した日は客が訪れることはなかった ⓒ文藝春秋 撮影・上田康太郎

 最上川河口に位置する酒田市は、奥州藤原氏の36人の遺臣「酒田三十六人衆」の子孫が自治組織をつくり発展してきた歴史がある。西回りの航路開拓に伴い多くの商人が集まる港町となり、江戸時代には「西の堺、東の酒田」と称された。昭和以降も港の開発が進み、東北随一の臨海工業地帯として繁栄した。

白ばら近くの日和山公園から臨む最上川河口。一帯は港町として栄えた ⓒ文藝春秋 撮影・上田康太郎

創業は昭和33年 山本リンダや吉幾三、小松みどりの歌謡ショーも

 そんな酒田市で白ばらが創業したのは1958年。聖徳太子が描かれた1万円札の発行が始まった昭和33年だった。69年、高度経済成長の真っ只中に建て替えられ、27あるボックス席に110人を収容できる広さになる。最盛期には90人のホステスが在籍した。店舗の目の前には明治時代から続く老舗旅亭「山王くらぶ」があり、会社の接待や二次会から流れてくる客が多かった。山本リンダや吉幾三、小松みどりなど有名歌手によるショーも頻繁に開かれ、連日おおいに賑わったという。

白ばらの斜向かいにある老舗旅亭「山王クラブ」。現在は観光施設として活用されている ⓒ文藝春秋 撮影・上田康太郎
店の入り口に飾られている山本リンダのサイン色紙 ⓒ文藝春秋 撮影・上田康太郎

 キャバレーは、大箱の店舗でホステスと酒を飲み交わしながら、生バンド演奏に合わせて歌や踊りを楽しむ場所。下積みの歌手や芸人によるショーも盛んに開催され、無名時代のビートたけしもステージに立っていた。第二次世界大戦後に娯楽施設として日本全国で定着し、全盛期の昭和30~40年代には東京だけで数百店舗あったとされる。