彼については、チャットグループ内で「明日、活動に行くことを大学に申請しなくて大丈夫かなあ」と発言し、他のメンバーから「やめろ」と諭されている姿を見て、ぜひとも本人に会ってみたくなった。
果たして、下宿先の最寄り駅で顔を合わせた彼は、線の細い気弱そうな感じの青年であった。大学院から留学したこともあって、日本語もあまり上手くない(コロナ禍の影響でリモート講義が多かったため、近年の中国人留学生は高学歴者でも会話力が伸び悩む人も多い)。
河合奈保子とジャワカレー
チェンの部屋は、一人暮らしの若手研究者というイメージを裏切らない散らかりぶりだった。カレールーと乾麺がぎっちり詰まったスーパーの袋を見つけ、自炊をするのかと尋ねると、「故郷の家族と友達に送るんです」という。ところで、
「中森明菜さんと(松田)聖子ちゃんが好きです。でも、いちばん好きなのは河合奈保子さん。1983年の『エスカレーション』と、1984年の『コントロール』、『唇のプライバシー』。大好きです」
チェンが好きな音楽は、なぜか大学時代からハマっているという日本の80年代アイドル歌謡だった。日本語はたどたどしいのに、曲がリリースされた年はスラスラと出てくる。よほどのファンのようだ。
「これは、けっこう本気の話なのです。いい歌や小説は、人の考えが自由な社会じゃないとできない。共産党が自由の意思を統制する、よくない。これだと、中国は世界の文化になにも貢献できない」
「……かつて、1989年にある政治事件がありました」
チェンの両親はともに理系で、父親は医師だ。どうやら過去に中国国民党に近かった家系らしい(中国において「出身成分」が悪い一族は政治的に攻撃されにくい理系を選ぶ場合が多い)。文化大革命をはじめ、過去に他の中国人よりも重めの迫害を受けてきたので、「党には決して近寄るな」という家風の家だった。とはいえ、親からそれ以上のことを教えられたわけでもなかった。
「中学生のときに、歴史の先生が中国の改革開放政策を教えるなかで、天安門事件に言及したんです。『……かつて1989年にある政治事件がありました。実情を知ることは非常に困難で、みなさんが調べて学ぶことは大変です。でも、いつか自分で調べてください』って、ものすごく短い時間、早口で」