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 作り手側も、悪意を持ってあのキャスティングをしたというよりは、男女半々の世界をイメージできてないんだと思うんですよね。お笑いやテレビの世界にかかわっていると、男いっぱいに女1人か、女いっぱいに男1人とかは想像できても、男女半々の経験があまりなくて、想像ができない。

能町 特にここ15年くらいのバラエティは、「アメトーーク!」(テレビ朝日系)的な感じで、たくさんの男性芸人がチームプレーする内容が本当に増えたので、それがベースになっているんでしょうね。芸人ではないきれいどころ担当の女性を1人連れてきて、あとは全員男性、女性はいても1人。そして、観客はほとんど女性という。

西澤 音楽番組も観客は女性が多いですもんね。観客は女性、審査員は男性という構図が落ち着くのか。

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「アメトーーク!」の負の遺産

能町 以前、「アメトーーク!」プロデューサーの加地(倫三)さんが「男の客ばかりだと歓声が野太くなったり、笑わなかったりするから、観客はほぼ女性にしている」と対談で話しているのを読んだことがあるんです。それは確かにそうなんでしょうけど、その形が固定化してるのはマズいと思うんですよ。

 このことによって、演者側には男性が多いのが当然だとか、観客に反応のいい女性が多いから男性演者の喋りが盛り上がる、みたいなフォーマットまで自然と固定化してるんじゃないかと思うんです。もうそのフォーマットをベースにして番組をやらないでよって思っちゃう。

西澤 そういう、「アメトーーク!」の罪ってありますよね。よく思うのが、「アメトーーク!」のひな壇に私と同世代くらいの男性芸人がバーッと並んだとき、そこの関係性に属していない女性だったり、若手の男性だったりが入ると、なんかちょっと変な空気になる。

能町 そう。変な間が生まれたりしますよね。「村に知らんやつが入ってきた」みたいな。たぶん悪気はなくて、素でああなっちゃう。

西澤 だから、関係性の笑いの罪だとか、そこにずっと依拠してやってきた負の遺産はあるなと思いました。でも、そろそろそこから抜け出して新しい形を見つけないと、世間の空気と合わなくなってきてしまう。

バラエティによる「消費」から身を守る方法

西澤 能町さんは「久保みねヒャダこじらせナイト」(フジテレビ系)をはじめ、テレビにたくさん出ていらっしゃるじゃないですか。「バラエティのこういうところ、ちょっとおかしくない?」という経験はなかったんですか。

能町 私は最初からそういうのが嫌だったので、合わなそうなテイストの番組は露骨に避けてたんですよ。あとは、深夜番組以外出ない。例外は、相撲に関する番組だけ。