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そのとき現場で何が起きたか

「きゃっ」女性は崖下にふっ飛び…男性登山者がドロップキックの体勢で上から落ちてきた“あり得ない事故”の顛末

「きゃっ」女性は崖下にふっ飛び…男性登山者がドロップキックの体勢で上から落ちてきた“あり得ない事故”の顛末

『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』より #4

2023/01/10
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 田原は、まだ雪山を始めて間もないころ、先輩に連れられて冬の独標に登ったことがあった。そのときに自分自身の技術の拙(つたな)さを痛感したので、今度は誰かに連れていってもらうのではなく、自力で登りたいと思い、信頼のおける横山に声を掛けたのだった。横山にとってはこれが初めての冬の独標だったが、技術的にはまったく問題ないレベルだと、田原の目には映っていた。

行動できないほどの悪天候ではなかった

 12月22日の夜、車で自宅を出た横山は最寄駅で田原と待ち合わせ、そこからは田原が運転を代わって現地へと向かった。その晩は、松本インターチェンジから安房(あぼう)峠へ向かう途中にある道の駅「風穴の里」で車中泊し、翌朝、安房峠を越えて岐阜県に入った。登山口となる新穂高温泉に着いたのが朝8時ごろ。ここで登山届を提出し、9時始発の新穂高ロープウェイに乗って山頂駅へ。暮れも押し迫った時期ではあったが、土曜日ということもあって、ロープウェイは登山者や観光客で賑わっていた。

 山頂駅で身支度を整えた2人は、9時45分に行動を開始し、登山ベースとなる西穂山荘を目指した。気温は低く、空は灰色の雲に覆われ、ちらほらと雪が舞っていたが、雪山の人気コースだけあってしっかりトレースがついていた。

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写真はイメージ ©iStock.com

 西穂山荘にはわずか1時間ほどで到着し、まずは受付をすませてテントを張った。まだ午前11時前だというのに、キャンプ指定地にはかなりの数のテントが張られていた。

 計画ではここに1泊して独標を往復する予定だったが、独標行きを今日にするか明日にするかは、現地に行ってみて判断することにしていた。この時点での天気はあまりよくはなかったものの、行動できないほどの悪天候ではなかった。

 軽く行動食を食べ、独標へ向けて出発したのが11時10分。シュラフ、コッヘル、ガスストーブなどはテントに残し、防寒具、テルモス(魔法瓶)、行動食、ツエルトを持った。もちろんアイゼンとピッケルは必携で、頭にはヘルメットを被った。

 山荘から小高い斜面を登っていくと、間もなく森林限界を越え、標高2452メートルの丸山というピークに差し掛かる。前後して何パーティもの登山者が独標方面へ向かっていたが、ガスで視界が悪かったため、このあたりから引き返していく登山者も何人かいた。