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そのとき現場で何が起きたか

「きゃっ」女性は崖下にふっ飛び…男性登山者がドロップキックの体勢で上から落ちてきた“あり得ない事故”の顛末

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『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』より #4

2023/01/10
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 以降、本格的に登山にのめり込んでいき、最初は月イチ程度だった山行は徐々に増え、それこそ毎週のように山に通った。経験を積んで自分で計画を立てられるようになると、会の山行だけでは飽き足らなくなり、個人山行も増えていった。2013(平成25)年からはもうひとつ、東京都山岳連盟(以下、都岳連)傘下の社会人山岳会にも籍を置き、冬山やロッククライミング、沢登りなど、よりレベルの高い登山へと活動範囲を広げた。

厳しい雪山登山の様子(写真はイメージ) ©iStock.com

 かつては、なにをするにしても家族単位で動いていたのが、山登りを始めてからは自分だけ別行動するようになったと、横山は言う。いつしか夫も彼女の影響で山に行くようになったので、2人でライトな登山を楽しむこともある。しかし、優先させるのは、あくまで自分が登りたい山だ。季節や天候、体調などを考慮して、自分が行きたい山を選んで計画を立て、仲間を誘って登りに行くという楽しみは、なにものにも代え難かった。山から帰ってきても、またすぐに「登りたい」という思いが募り、翌週には次の山へと足を向けていた。

年末に計画した冬の西穂高岳独標登山

 その横山とよくいっしょに山に行っていたのが、同じ都岳連傘下のほうの山岳会のメンバーである田原敏和(仮名・47歳)である。田原は30歳のころ、知人に連れられて六甲山を縦走したのがきっかけで登山を始め、東京に転勤してきたのちに先の山岳会に入会した。歳は横山よりもひとまわりほど下だが、山岳会ではほぼ同期であり、技術レベルも同じようなものだったので、どちらからともなく誘い合って山に行く機会が増えていった。田原がこう言う。

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「毎月2、3回はいっしょに行ってました。阿吽(あうん)の呼吸というんでしょうかね、しばらくいっしょにいれば、その日の相手の体調もわかるくらい、お互いに相手のことを知り尽くしています。ほんとうに安心して同行できる、山仲間のひとりです」

 そんな2人が2017(平成29)年のクリスマスの時期に計画したのが、北アルプスの西穂高岳独標への山行だった。独標(独立標高点)というのは、西穂高岳へと続く稜線上にある標高2701メートルの岩峰のこと。独標の直下まではほとんど危険箇所がなく(独標から先は険しい岩稜[がんりょう]となる)、岐阜県側から入山するならロープウェイを利用でき、ルートの途中には通年営業の山小屋・西穂山荘があることなどから、雪山入門者向けのコースとして、幾度となく山岳雑誌やガイドブックなどで紹介されてきている。