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「ロシアでは90年代から徴兵制に関する議論が出てきました。ところが、『もう西側と大戦争することはないのだから、軍事力をコンパクト化して、徴兵制のような軍事国家の体制をやめよう』と主張する、ロシアの中では相当、リベラルな人たちであっても、『やっぱり戦争の可能性は捨てきれないので、徴兵制は廃止しても、男の国民には半年間ほどかけて、基礎軍事訓練は受けさせるべきだ』というのです。日本でそんなことを言ったら大変な騒ぎですよ」

 ちなみに現在は1年に短縮されたものの、ロシアには徴兵制がある。2022年の9、10月に30万人の予備兵が招集されたことは記憶に新しい。

 外敵から攻められるかもしれないという、おびえを捨てることは、リベラル層でも難しいのだ。

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プーチンを想起したのは、私だけだろうか

 司馬さんが、ロシアに大きな影響を与えたと指摘したキプチャク汗国(1243〜1502)は、チンギス・ハンの孫バトゥがたてた国である。

〈それまでのロシア平原は、つねに東から西へ通過してゆく遊牧民族にあらされつづけたのですが、この十三世紀において、かれらにはじめて居すわられてしまい、帝国をつくられるはめになったのです。

 以後、ロシアにおいて、

「タタールのくびき」

 といわれる暴力支配の時代が、二百五十九年のながきにわたってつづくのです〉

「タタール」とはモンゴル人全般を指す。「くびき」は牛馬の首にあてて動きを御する横木のことで、転じて自由を束縛するもの、という意味だ。

〈このモンゴル人による長期支配は、被支配者であるロシア民族の性格にまで影響するほどのものでした。十六世紀になってはじめてロシアの大平原にロシア人による国ができるのですが、その国家の作り方やありかたに、キプチャク汗国が影響したところは深刻だったはずだと私は思っています〉

 タタール支配の大きな影響の例として、司馬さんが挙げたのは農奴だ。

司馬遼太郎 ©文藝春秋

〈西欧の似たような体制よりもはるかに農奴に苛酷なもので、それも時代を経るにつれて、農奴制は重くなってゆきました。(中略)キプチャク汗国時代と本質的にはさほど変わっていないのではないかと思えるほどでした〉

 武力で国を支配している点も同じだ。キプチャク汗国の後、史上初めてツァーリ(皇帝)となって、ロシア国家の基礎をつくったモスクワ公国のイヴァン雷帝について、司馬さんはこう書いている。

〈貴族に反逆のうたがいがあれば住民まで大量虐殺するという恐怖政治を布(し)いた。貴族や人民あるいは統治下の異民族に恐れをもたせることこそ当時のロシアにとって統治の本質的な秘略というべきものだった〉

 イヴァン雷帝の後にロシアを治めたロマノフ王朝も、専制国家だった。司馬さんは王朝末期の開明派政治家が書きのこした言葉をひいている。

〈ロシアは全国民の三五パーセントも異民族をかかえている。ロシアの今日までの最善の政体は絶対君主制だと確信している。

 なにがロシア帝国をつくったか。それはむろん無制限の独裁政治であった。無制限の独裁であったればこそ大ロシア帝国は存在したのだ〉

 ロシアの専制君主制を完成させたのは、ロマノフ朝のピョートル大帝だ。右の文章を読んでピョートルに自分を重ねるプーチンを想起したのは、私だけだろうか。

ノンフィクション作家・広野真嗣氏による「司馬遼󠄁太郎「ロシアについて」の慧眼」は「文藝春秋」2023年1月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されている。

文藝春秋

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