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「なぜか合戦と全く関係がない武田信玄がいた。よく見ると…」

 広場の外れには、なぜか合戦と全く関係がない武田信玄がいた。よく見ると、「我こそは武田信玄の亡霊じゃ!! もう争いはやめい! ノーモア関ケ原合戦じゃ!」と書かれている。亡霊という設定に納得しそうになったが、やはり腑に落ちない。

平和を訴える「武田信玄」の“亡霊”。ちなみに甲府駅前にあるシンボル・武田信玄公銅像からは約300キロ離れている

 広場を取り囲む小高い丘には、石田三成、小早川秀秋といった名だたる武将の陣地も再現されている。鉄砲隊や、討ち取った首を運ぶ武士たちの姿も見受けられる。

再現された石田三成の陣地
徳川側に寝返り形勢が大きく変わった関ケ原合戦のキーマンのひとり「小早川秀秋」

 少し離れた場所に、ひときわ立派な陣地があった。多くの武将たちの奥に鎮座しているのが、徳川家康だ。派手な甲冑を身にまとったコンクリート像からは、家康らしさが感じられる。ここでは首実検場が再現されており、家康の前には敵将の首が置かれている。

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「徳川家康」の陣
「家康」の前には敵将の首が…

 1万坪に及ぶ広大な敷地は管理が大変なようで、一部、使っていないような場所もあった。

植物に覆われる「にんにん城」

 ただ植物が枯れているだけのエリアや、廃墟化したまま放置されている“にんにん城”というアトラクションもあり、「どうするんだこれ」という状態だ。