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現在、園内にあるコンクリート像は全部で207体。開業当初は230体あったが、風化して減ってしまったそうだ。
その全てをコンクリート像作家である浅野祥雲氏が手がけた。230体という途方もない数の像を、1体ずつ穴を掘って基礎をつくり、鉄筋を組んでコンクリートを流し込んで作っていった。全てを作り終わるまでに5年を要し、開園に間に合わなかったため、一部は木の板に武将の絵を描いて代用したという。
「なぜ、武田信玄がいるんですか?」という質問への想定外の回答
そして気になるのが、なぜ武田信玄がいるのかということだ。歴史にこだわり、関ケ原の戦いを忠実に再現しているのに、なぜ全く関係のない武田信玄の像を作ってしまったのか。
西村館長は「創業者の父親が武田信玄のことが大好きで、あれも遺言だったんです」と語る。しかし、武田信玄をそのまま配置すると史実と合わない。そこで、武田信玄の亡霊という扱いにしたのだという。まさかの遺言だった。
西村館長のことも聞いてみた。先代の頃から関ケ原ウォーランドに勤務していた西村さんは、決して歴史に詳しい訳ではなかったという。
30年ほど前、資料館にあるジオラマが壊れて動かなくなってしまった。メーカーに問い合わせると、修理費は800万円をくだらないという。社長から「機械の代わりにお前が説明しろ」と言われた西村さんは、ジオラマの前に立って来園者に説明することになった。
来園者の中には歴史が好きな人も多く、いい加減な説明はできない。歴史のことを猛勉強し始めた西村さんだったが、勉強するうちに興味が湧き、自ら調べるようになったそうだ。西村館長の歴史講話が始まったきっかけは、ジオラマ装置の故障だった。