コツコツと仕事を重ねてきた結果…
これでメディアの前に出ての仕事や、講演会、野球教室にYouTubeが加わって、21年にはとうとう年商が1億円を突破しました。引退から7年が経っていました。現役で1億円に到達するまでに9年かかっていますから、引退後のほうが早かったというのも嬉しい話ですね。
自分で言うのもなんですが、正直、僕はよくやったほうだと思います。0から1を作り出し、1から10、10から20、20から30と実績を積み上げて、コツコツと仕事を重ねてきた結果が、この数字なんですからね。誰かの言葉ではありませんが、まさに「自分をほめてやりたい!」(笑)。
これから先も1億円プレイヤーであり続けたいものですけど、未来に何が待ち受けているのかわかりません。さらにデカい儲け話や新たな仕事が現れるかも……。そのためにも、ひたすら実績を積み上げていくこと、仕事への嗅覚を高めていくこと、これに尽きますね。
アラフォーのオッサンでも勝ち抜けられた思考
僕が引退してからもお金を稼げた理由は明快です。愚直な話ですけど、常に新しいことにチャレンジし続けていたから。
本章でこの後触れますが、引退1年目は「来た仕事を言い値で引き受ける」ことに徹していました。プロ野球関係者を除いて「里崎ってどんなヤツなんだ?」と、僕のキャラクターを知らない人が多かったでしょうから、使う側としても、試しに一度起用して様子を見るところがあったはずです。「ご祝儀相場」ということもあって、1年目は新規の仕事が割と入ってきたんです。
そして2年目。すでに「年収は右肩上がり」と記した通り、1年目の仕事の受け方が奏功して、「里崎、面白いからうちも使ってみよう」という評価に変わってきたんです。野球解説者も少なくない中、あえて里崎智也を使うという選択をされるところが急に増え、ご祝儀相場明けの落ち込みなどなく、仕事は軌道に乗っていきました。
『球辞苑~プロ野球が100倍楽しくなるキーワードたち~』(NHK BS1)、『捕手里崎智也のビジネス配球術』(チバテレビ)、ニッポン放送の『里崎智也と吉田尚記 今夜もオトパラ!』(ニッポン放送)、『吉田尚記のコミパラ!with里崎智也』(同)など、テレビ、ラジオでレギュラー番組が続々スタート。積極果敢に次々と新しい仕事をこなしていきました。
3年目以降についても、仕事への基本スタンスは変えず、特に新たな仕事はよほどの悪条件でない限り積極的に受けてきました。僕の知名度がプロ野球を知らない層にも浸透したのは、この年あたりからだったと思います。