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貨物列車でなければ通れない区間に感じるロマン

 中村さんと記者の総勢2名で編成された「文藝春秋10月号特別追跡調査団」と、この時点では未確認だが後ろにいるはずの「文藝春秋」10月号を乗せた3059列車は、定刻の午前7時07分15秒、三橋運転士の「出発進行!」という指差呼称と、「ピイッ!」という鋭い気笛を合図に、高橋課長に見送られて青森信号場を発車した。

 信号場を出ると、すぐに最初のヤマ場に差し掛かる。地図で見ると東側から来た青い森鉄道は右カーブで北へ、西側から来た奥羽本線と津軽線は左にカーブして北に進み、合流する形で青森駅に進入するのだが、青森駅に用事のない貨物列車はそのデルタの底辺に敷かれた単線の短絡線を走って津軽線へと進んでいくのだ。このおよそ730メートルは、一部の例外を除いて、貨物列車に乗らなければ通ることのできない区間であり、記者はこういうところを走る貨物列車に深いロマンを感じるのだ。

 大好きな貨物列車に乗れて興奮の冷めやらぬうちに訪れた最初のクライマックスに、記者の精神は早くも破綻した。「あわわ、あわわ」とアタフタしているうちに専用線は終了してしまったのだ。右側から近づいてきた奥羽本線と合流すると、わが列車は右へ右へとポイントを渡り、一番右側の津軽線の線路に入っていく。

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 その間およそ1~2分の出来事だった。

◆ ◆ ◆

中村さんが席を譲ってくれた理由が判明

 記者が津軽線に乗るのは7年ぶりのこと。それは新幹線の新函館北斗延伸の前年で、古い車両の特急列車の窓から雨に煙る津軽海峡を一人眺めながら中島みゆきを聴いていたのを覚えている。旅先の印象というものはその日の天候と流れていた音楽によって決定づけられる部分が大きく、当然その時の印象は「哀愁」「寂寥」「別離」「逃避」という負の要素に満ちていた。心は沈む一方だった。

 ところが今日はどうだろう。澄み渡る青空、まぶしい朝日、近代的な建売住宅群……。車窓左手にはそのふんだんな日の光を当て込んだ無数の太陽光パネルまで並んでいる。時折見える海はキラキラ光り、山の緑は青々と輝いている。しかも大好きな貨物列車に乗っているから心も踊る。歌ったことはないがヨーデルの一つも口ずさみたくなる。

 列車は速度を増し、軽快に走る。しかし、ここで追跡調査団長の中村さんがかたくなにヒラ団員の記者に席を譲ってくれた理由が分かった。ポイントが多くて揺れると危険なのだ。

 これまで添乗した3回はいずれもその大半が複線区間だった。それに対して今回は新幹線との供用区間以外は単線区間を走る。電気機関車の運転席は電車の客席より高い位置にあるので、ポイントを通過するたびに大きく揺れる。複線でもポイントを渡るときには揺れるが、単線区間は複線よりもポイントで左右に動く回数が多いので、そのたびに運転室にいる人間は揃って左右に大きく体が傾くのだ。

 過去に同じ区間の逆向きの列車に添乗した経験を持つ中村さんは、この揺れを知っている。足腰が弱り始めている初老の記者を座らせて前方に集中させておくほうが、安全面で有利なのだ。