皆さん、お久しぶりです。中村武志です。

 少し間が空いてしまいましたが、前回(「監督、これ以上やってしまうと」平手打ち、キック、また平手打ち…闘将・星野仙一の「熱血指導」が生んだ中村武志“流血騒動”の顛末「質量ともにあの時がナンバーワンでした」)は星野仙一さんの最も厳しかった“指導”をご紹介しました。今回は星野さんのそんな指導の裏には真に選手を思う優しさとともに、冷静さが同居していたことを、お話ししようと思います。

星野仙一氏 ©️文藝春秋

グーはタブー

 実は、私は星野さんと出会うまで父親にもほとんど殴られたことがありませんでした。京都・花園高校時代の野球部の監督も手を上げる人ではなく、部の先輩から遊びでラグビーをやった時に激しいタックルを受け、“可愛がられた”ことがあったぐらいです。練習でのしごきは多少あったかもしれません。が、実に平穏な高校生活を送ったと思います。

ADVERTISEMENT

 成人しようかという時に出会ったのが星野さんで、鉄拳による指導を初体験することになったのです。ただ当時は球界全体を見渡しても、そういう時代でしたので、仕方ないと割り切っていました。星野さんに関しても、横からのビンタや前からの張り手など、殴り方にバリエーションはあれど、私を含め選手の体が大事に至らないよう配慮されていることは気付いていました。

星野氏 ©️文藝春秋

 中でも星野さんが戒めていたのがグーで殴ることでした。本当に怒った時以外はこれを封印し、私ですら数回しか経験したことがありません(もちろん、パーでも痛いものは痛い。危ないのは耳付近で「キーン」と耳鳴りが止まらない。悲惨なのは当たり所が悪く、指が目に入った時で、これはもう涙が止まらない……)。

 グーはタブー。

 そのことを強く感じたのは星野さんの就任1年目のシーズン、今でも語り草になっている“事件”でした。