美学者と辺境ノンフィクション作家の初対談が実現。人が未知のなにかを「できる」ようになる時のメカニズムに迫った『体はゆく』が好評の伊藤亜紗さんと、25以上の言語を学んで使ってきた体験を記した『語学の天才まで1億光年』が話題の高野秀行さんが、未知に挑む面白さについて語り合った。
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できないことがやれるということには、ある“矛盾”がある
伊藤 この対談は私のほうからお声がけさせて頂きましが、高野さんとは全然ジャンルが違いますから、なぜこの二人の組み合わせ?と思われた方もいるでしょうね。
高野 私自身、ついにその謎が解き明かされると楽しみにしてきました。
伊藤 『体はゆく』と『語学の天才まで1億光年』は同じことが書いてあると思っていて、重なる要素が大きいと感じています。『体はゆく』というタイトルには、どこにゆくかは書いてないのですが、これは言ってしまうと、それまではできなかった未知の領域――“辺境にゆく”なんですね。
本書は、共同研究等で関わりのあった理工系の研究者5名の方々の知見を踏まえて、テクノロジーの観点から「何かができるようになる」メカニズムを考えたものです。社会的に「できる」は、誰々より〇〇と何かとの比較で語られがちですが、実はそこには、自分が行ったことがない体の可能性へいたる冒険がある。
高野さんはポリシーとして、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」と書いていますが、まさにそんな未知への挑戦が一人ひとりの「できる」の中に宿っているんです。
高野 なるほど、そういう意味なんですね。本の中で特に興味深かったのが、「できないことがやれるということに、矛盾がある」という指摘でした。
フィギュアスケートの三回転半ジャンプを例に説明してみると…
伊藤 例えばスケートの3回転半ジャンプは、意識の側からすると、やったことないからどうすればいいかイメージできず、体に命令を出すことができない。一方、体側からすれば、意識がちゃんと命令してくれないから動けない。つまり、体が意識の命令通りに動く範囲内では、絶対に新しいことはできないという矛盾があるんですね。
体が意識の範囲を超えて、勝手に何かをやってしまう時にはじめて、「あ、こういうことか」と新しいことができてしまう。この不思議な領域を、理工系の研究者たちはみなさん共通して「探索」という言葉で表現していました。
高野 体が探索するんですか?
伊藤 そう、体に探索させるんです。制御モデルだと、なかなかできるようにはならなくて、意識の外側で体を解き放つ、いい探索をさせることが大事になってきます。