白倉Pも断言「話の大筋はわからなくていい(笑)」
──『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(以下、『ドンブラザーズ』)は、最終回まで約ひと月となりました。ところが、最近また新キャラクターが登場するなど、ストーリーがいまだ錯綜している印象です。
話がどう収束するのか読めないのですが、制作サイドはあらかじめ結末を決めたうえで進めてきたのでしょうか。
白倉P 脚本は井上大先生(井上敏樹氏)おひとりにお願いしているので、井上さんの中では最終回までの道筋はあらかじめ決まっていて、流れも組み上がっています。
ただ、スーパー戦隊シリーズの醍醐味のひとつに「毎回1話完結で、バラエティに富んだ内容」というのがあります。ですから、本来の道筋を崩しすぎないようにバランスを取りつつ、それぞれの回に違う面白さを盛り込んでいるつもりです。
──まもなく最終回を迎えるのに、ドンブラザーズは鬼ヶ島に行くわけでもなく、巨悪に向かう様子もありません。ドンブラザーズとは一体何者で、彼らの最終目的は何なのでしょう。
白倉P わからなくて大丈夫です(笑)。実はこちらもわかっていないし、戦っているご本人たちもよくわかっていないので。
──そうなんですか? 戦う本人たちもわかっていないとは……制作サイドとしては、あえて、わかりやすいストーリーにしないという狙いが?
「普通に生きる人たちを描きたかった」
白倉P はい。実は、『ドンブラザーズ』でやりたかったことのひとつに、“日常に根差した、普通の暮らしを営む人たちの物語を描きたい”というのがありまして。
──市井の人々の物語にしようと?
白倉P そうです。スーパー戦隊シリーズによくある「戦いにおける大義」や、「倒すべき対象としてのラスボス」をつくると、一般市民の話ではなくなってしまう……という危惧がありました。
そもそも普通の生活の中で、地球の敵が突然現れたり、ヒーローたちが正義に燃えたりすることはないでしょう?
──言われてみればそうですね。スーパー戦隊シリーズは、非日常的なストーリー展開をするものという印象でしたが、「今回は違うんだ」と。
白倉P ええ。『ドンブラザーズ』の戦闘は、戦隊チームのメンバーが「ときどき集合して、アルバイト的に戦う」というスタイルです。
視聴者の皆さんが、これまでのスーパー戦隊シリーズとは違う曖昧模糊とした部分を感じるとしたら、そのせいかもしれません。
「職業戦士」になった瞬間に消える、面白さ
──「普通の人たちを描く」というのは、スーパー戦隊シリーズ史では画期的な変化なのでしょうか。
白倉P 『ドンブラザーズ』はスーパー戦隊シリーズの第46作ですが、普通の人たちを描く作品は過去にもありました。
第1作の『秘密戦隊ゴレンジャー』(’75~’77)の戦隊チームは、警察や自衛隊のようなプロ集団。彼らは最初から職業戦士だったんです。
ところが、その後つくられた『大戦隊ゴーグルファイブ』(’82~’83)、『科学戦隊ダイナマン』(’83~’84)の戦隊チームは、天才科学者や財団などにより生み出された民間組織でした。『鳥人戦隊ジェットマン』(’91~’92)の戦隊チームは、地球防衛軍が壊滅した後、生き残った民間人が巻き込まれる形で誕生します。
──シリーズが40作以上続く中で、戦隊チームにはさまざまな設定があったんですね。
白倉P ええ。『ドンブラザーズ』が画期的だとしたら、戦闘ではなく、日常生活の描写をメインにしたことです。
話全体のウェイトを「戦い」に置くと、第1話でメンバーが集まった時点ですぐ、戦士になる必要があります。そうすると、第2話以降は実質、職業戦士にならざるを得ない。
彼らにはもともと一般市民の役目もあるじゃないですか。今回の主人公でいうと、ドンモモタロウである以前に「桃井タロウ」としての人生がある。でも、そのときの面白さは、職業戦士になった瞬間に消え失せるんですよ。