人生をかけた勝負において、師弟で同じ戦法を選択
だが、プロ編入試験は3局で終わった。
あれから2ヶ月あまりが経った。
今回、里見香奈が編入試験をどう戦ったか、そして編入試験にたどり着くまでにいかに努力したのか、ここに残しておきたい。里見の将棋に対する一途な努力を、皆に知っておいてほしいからだ。まずは編入試験について述べよう。
8月18日、プロ編入試験第1局の相手は徳田拳士四段。後手となった里見は、中飛車は中飛車でも、いつものゴキゲン中飛車ではなく、飛車先の交換を甘受する形にした。この戦法は、里見の師匠である森けい二九段がタイトル戦で採用した戦法だった。
1988年、森は42歳で第29期王位戦七番勝負の挑戦者になった。対戦相手は当時26歳の谷川浩司王位で、下馬評はもちろん「谷川持ち」だ。谷川は当時、名人・王位・棋王の三冠を保持し、絶好調だった。だが森は「おじさんが体で覚えた将棋を教えてやる」と宣言し、谷川に挑んだ。そして七番勝負を1勝2敗で迎えた第4局、里見-徳田戦と手順は違えど、飛車先交換甘受型の中飛車にして力戦に持ち込む。中盤で端角の名手を放ち、2勝2敗のタイに戻し、結果として4勝3敗で王位を奪取した。
つまり、人生をかけた勝負において、師弟で同じ戦法を選んだのだった。里見は定跡から外れた形に持ち込みはしたが、やや不利に。だが徳田がミスをしたため、互角に戻すチャンスが2回あった。桂を取りあう順と、銀を取って飛車を活用する順で、普通の応手だ。しかし里見はどちらも逃してしまい、差が広がってしまった。徳田は手厚く、そして手堅く局面をまとめて押し切った。里見の駒が伸びていなかった。
ABEMAでの対局中継の解説は菅井が担当
9月22日、第2局岡部怜央四段戦。岡部は里見の先手中飛車対策をしていた。銀を繰り出し急戦を狙う→里見の銀を固定させる→持久戦にシフトし、雁木から穴熊に組みかえる、という凝った作戦だ。
これは「雁木穴熊」と呼ばれ、里見も富田誠也四段との棋王戦で経験している。採用する棋士は増えていて、斎藤慎太郎八段も今泉健司五段とのNHK杯で採用して快勝したので、テレビでご覧になった方もいるだろう。岡部は前例からさらに工夫し、角を転換してから穴熊に組んだ。だが里見は冷静に対応し、互角に進む。
ABEMAでの対局中継の解説は菅井だった。振り飛車党であり、里見とは幼馴染で研究会仲間。解説にうってつけだ。ということで、私もずっと中継を見ていた。将棋についても中飛車の極意を惜しみなく披露していたが、「里見さんを応援しています」とはっきり言い、研究会についても語った。
「里見さんがすごいのは、例えば昨日まで地方で対局していても、対局が遅くても、翌朝には(研究会に)来るんですよ。疲れたまま来ていたとしても、今日はこういう将棋を指そうというテーマがあるんです。せっかく行くなら準備していこうという。こっちもモチベーションがあがりますよね」