2016年2月1日、関西将棋会館で第74期順位戦A級8回戦の佐藤天彦八段-久保利明九段(段位・肩書は対局当時のもの。以下同様)が行われていた。A級初参加の佐藤は6勝1敗の単独首位で、残り2局を連勝すれば羽生善治名人への挑戦権をつかむ。対して久保は2勝5敗で逆に降級のピンチという、両者大きな勝負だ。
朝10時半過ぎに中継サイトを開くと、対局開始を待つ写真がアップされていて、ふと真ん中に座っている記録係を見て思わず声がでた。まさか、彼女がここにいるはずがない。前日に千葉県野田市の関根名人記念館で清水市代女流六段と女流名人戦第3局を戦った里見香奈がここにいるわけが……。
「あの子は強くなる」帰りの車中で師匠に褒められる
最初に会ったのは、まだ里見が中学生の頃だった。島根で子ども対象の将棋教室があり、私の師匠、石田和雄九段とともに呼ばれた。世話人は島根の強豪・柳浦正明さんで、柳浦さんと師匠は、年も近く長く親交をあたためる仲だった。
そこに、女流棋士となっていた里見が母親とともに参加していた。柳浦が師匠と里見を引き合わせたのだった。師匠は彼女の将棋を見て「強い!」と言い、私に子どもたちの指導対局を全部任せ、彼女とサシで指した。
帰りの車中で師匠は私に「あの子は強くなる」と言った。師匠が私の前で弟子以外の中学生を褒めたのは、(藤井聡太竜王は別にして)永瀬拓矢王座と里見だけだ。
年末に師匠と会ったとき、改めてあのときの話をうかがうと、「ええ、覚えていますよ。将棋に一途で、心に響く将棋でしたね」と、懐かしそうに語った。
次に会ったのは2012年7月、島根県で行われた羽生善治棋聖-中村太地六段の棋聖戦第3局だった。私は観戦記を担当しており、控室で立会人の棋士たちと検討していると、20歳の里見が訪れた。
関西の若手棋士から何度も「里見」というキーワードが
女流四冠として対局で忙しい上に、奨励会の例会もある。しかも対局場所の江津市は、同じ島根とはいえ出雲市からは遠い。だがこの将棋を見るためだけに、父親が車で2時間近く運転して来たのだという。観戦記者としてインタビューしようかと思ったが、彼女は控室に入ると、文字通り目を輝かせて検討している盤の前に座った。邪魔をしてはいけないなと断念した。
里見は奨励会三段昇段後に体調不良で休場したこともあり、三段リーグ参加時には23歳になっていた。私自身が23歳三段昇段、同じ3月生まれということもあり、密かに応援をしていた。
そのころは顔を合わせることも取材することもなかったが、関西の若手棋士から戦法や新手の話を聞くときに、何度も「里見」というキーワードが出てくることに気づいた。この将棋は里見さんと研究会で指しました、この相振り飛車の「離れ金無双」は里見さんが得意です、この銀の進出は里見さんが深く研究している攻撃形です……と。