最近、関東地方を中心に発生した連続強盗事件は、国際的な組織性と計画性で住民の不安をかき立てたが、いまから120年余り前、茨城、千葉、東京、埼玉で連続して起きた強盗事件も当時の社会を震撼させた。

 北海道の監獄から脱走。ピストルと刀を手に押し入って脅迫。女性を暴行し、少しでも抵抗しようとすれば「まるでスイカでも切るように、少しのちゅうちょもなく人を殺傷した」=「警視庁史第1(明治編)」。「最も激烈な虚栄心」「誇大妄想」「性質残忍、驚くほかはない」と後に教誨師に指摘された男の犯行は強盗殺人9件、強盗傷害と強盗は50件以上ともいわれるが、正確な数は分からない。

 1日に48里(192キロ)を走る超快足で荒らし回ったとされ、付いたあだ名が「稲妻強盗」。強奪した金を使い、遊郭などで豪遊し、「探偵実話」「犯罪読物」が競って出版されて話題に。神出鬼没の「犯罪界の大スター」となったが、そこには、「剛健」「残忍」にあこがれるような当時の人々の心情が反映していたのかも。

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望月茂「近世実話探偵十種」に掲載された「稲妻強盗」坂本啓次郎の顔写真

 逮捕されて死刑判決を受けたが、獄中で「改心」。1900(明治33)年2月、従容と死に就いた。一体、彼をそれほどの犯行に駆り立てたものは何だったのか。人間はどうしたらそれほど残忍になれ、そしてそこから改心できるのか――。今回も、当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は現代文に書き換え、適宜要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。

公式記録でも情報が錯綜している事件

 今回の事件も公式の記録はほとんどない。さらに警察の正史である「警視庁史第1(明治編)」(1959年)の記述にも誤りがある。新聞記事や読み物はなおさらで、事実とはかなり異なっているとみられる。

「稲妻強盗」の本名からして諸説ある。信頼の置ける森長英三郎「史談裁判第3集」は、一審判決を引用して「慶次郎こと坂本啓次郎」としており、これが正しいようだが、ほかにも「坂本慶二郎」「阪本慶次郎」など、新聞等によってバラバラ。当時の新聞は、1つの記事に違う名前の表記があっても気にしない。煩雑なので、ここでは「坂本」と呼ぶことにする。

 坂本の犯歴は長期にわたっているが、新聞記事で確認できるのは、逮捕に至る短い期間の事件だけ。具体的には1898(明治31)年11月17日付の在京紙数紙の紙面のようだ。東京朝日(東朝)を見よう。

 強盗人を斬る

 昨暁1時30分ごろ、(東京)府下北多摩郡府中在神代村字下千川(仙川の誤り=現東京都調布市)の財産家、内田國太郎方へ1人の強盗が押し入り、國太郎の頭部その他へ重傷を負わせ、金60円(現在の約27万円)を奪って逃げ去ったという。

在京紙に初めて載ったと思われる「稲妻強盗」の記事(読売)

 報知もほぼ同内容だが、読売は「強盗人を殺す」の見出しで「國太郎を惨殺」と書いている。