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 その当時の身長は170cmを超えていた。バレーボール選手としてはこれ以上ない恵まれた武器であるが、10歳の少女にとってはいいことばかりではない。特に同級生の男子からは、からかいの対象になることが日常茶飯事だった。

「“ビッグフット”って言われてましたね。当時、テレビのバラエティ番組で和田アキ子さんがそういじられていて、私も大きかったから。嫌は嫌でしたけど、でもそこまで深刻ではなかったです。むしろ両親が大きいことを卑屈にとらえるのではなく、身長が伸びたら『またこんなに大きくなったね』と喜んでくれたので、素直に嬉しかった。運動もそれなりにできたし、母が厳しいので勉強もちゃんとしていたから、デカ女とか言われても気にしない。一生懸命何かをやれば結果が出る、という自己肯定感がありました」

 

 小学校卒業の時点で身長はさらに伸びて180cm。比類ない高さを活かし、バレーボールがやりたい、しかもやるなら厳しい環境でやってみたい、と言い出したのは荒木自身だった。だが母と、元ラグビー選手でもあった父・博和さんは「背が大きいだけで筋肉が伴っているわけではないのだから、最初から強豪校に進んで厳しい練習をすべきではない」と反対した。出身の岡山県内の強豪や、越境して他県で、という誘いもあったがすべて断って地元・倉敷の中学へ。荒木曰く「名門にも強豪にも程遠い、バレーボールをただ楽しむ環境」で3年間を過ごしたが、同時期にアンダーカテゴリー日本代表合宿に選出されるなど、取り巻く環境は少しずつ変わり始めていた。

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小川監督以外は「日本一を目指そう」と言った

 そして最大の転機になったのが高校進学だった。同時期に父の転勤で家族揃っての上京が決まり、そのタイミングで複数の強豪校から声がかかった。ちょうど、と言うべきか、いや大げさに言えば運命か。その1つに、名将・小川良樹氏が指導する成徳学園(現・下北沢成徳)があった。

今年度いっぱいで勇退する下北沢成徳高校・小川良樹監督

「日本一を目指そう」。荒木をどうにか自校に引き入れようと多くの人が夢を語るなか、小川氏だけは、見据える場所が違った。

「将来、日本を代表して戦える選手になるように、今だけを見るのではなく大きく育てましょう」