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「ダメな時は容赦なく言われるし、強烈ですよ(笑)。でも間違いなく、母がいなければ頑張れなかった。選手としても1人の女性としても、母は常に絶対的な存在です」

 母という絶対的な存在は、いつでも荒木の選手人生をより良い方向へ導いてきた。プレーには口出しはしない。でも娘の身体のことになると、居ても立っても居られない。

「母は絶対的な存在です」と語る荒木 ©文藝春秋

 荒木は小学5年生で初潮を迎えて以後、中学時代から「ずっとひどかった」という生理痛に悩まされていた。その辛さは年齢を重ねるごとに悪化していき、東レに入ってからは痛みで倒れ、練習に参加できないこともあったほど。ある日、そのことを母に相談すると、あっという間に病院の診察予約が入れられ、付き添いのために関東から滋賀へ飛んできた。さらに、診察日が練習と重なり、「行けない」と言う荒木を説得するどころか、先にチームに問い合わせて「大事な身体のことだから、この日だけ休ませて下さい」と半ば強引に病院へ連れて行ったという。

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 はっきりと原因はわからなかったが、母の決断は正解だった。ホルモン注射や低用量ピルを服用しながら痛みをコントロールし、長年悩まされた痛みと上手く付き合いながら選手生活を続けることができた。2014年には、出産も無事に経験している。その後も、アスリートで母という多忙な荒木に代わり、子育てを一手に引き受けてくれたのも母・和子さんだ。バレーボール選手として活躍する側には、常にその姿があった。

「私なんて何者でもないですから(笑)」

 今春には小学4年になる娘の思春期が近づくなか、子育ての楽しさばかりでなく難しさも身に染みて実感している。だからこそ感じるのは、いかに母が偉大だったか、という思いだ。

「小学生からもっと厳しい環境でバレーボールをして、高校も成徳に行かなければ今の自分はない。そういう道にさりげなく導いてくれた両親、特にこの歳になってまた一から孫を子育てしてくれた母……すごすぎて、どう言葉にすればいいかわからない。だからママアスリートとして取り上げていただく機会も多かったですけど、ただただ申し訳なかったんです。世間のママはもちろんですけど、自分の母と比べても、私なんて何者でもないですから(笑)」

 

 偉大な母を前に“何者でもない”と謙遜する彼女だが、現役引退後も挑戦の歩みは続いている。選手として道を究めたバレーボールという世界を、学生として、解説者として、指導者として、多くの人に還元しようとする道は終わっていない。そして、その側には今も、母・和子さんがいる。

 荒木のセカンドキャリアは、まだまだここから、これからだ。

撮影 杉山拓也

◆現在配信中の「週刊文春 電子版」では、下北沢成徳OGの荒木絵里香さん、大山加奈さん、木村沙織さんが小川良樹監督の勇退に寄せた勇退コメントや、4人での記念ショットの数々を限定公開しています。

この記事の詳細は「週刊文春電子版」でお読みいただけます
日本バレーを作った男|下北沢成徳高校バレーボール部監督 小川良樹

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