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「小6で180cm、あだ名はビッグフットでした」荒木絵里香が語る、私のバレー人生を変えた“”恩師と母”

「小6で180cm、あだ名はビッグフットでした」荒木絵里香が語る、私のバレー人生を変えた“”恩師と母”

下北沢成徳高校女子バレー部OG・荒木絵里香さん特別インタビュー

2023/03/31
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 この指導方針に両親が惚れ込み、導かれるように成徳へ入学を決めた。高さという武器を備え、名将による他校にない将来を見据えた指導を受けて、高校2年時の春高を初制覇し、同年夏にはインターハイ、秋の国体を制して三冠を達成。同学年の大山加奈と共に、アンダーカテゴリーを飛び越え日本代表候補にも選出される選手へと成長を遂げた。

 正しい道へ導いてくれる「恩師」との出会いは大きかった。ただ、4度の五輪に出場し、長らく日本代表のキャプテンを務めた唯一無二の選手となったのはそれだけではない。幼い頃から恵まれた才能を期待してきた周囲に流されることなく、誰より荒木に厳しい評価をしてきた母・和子さんという存在も欠かせない。

「母は常に絶対的な存在です」

 荒木のみならず、多くのアスリートにとって家族の支え、特に両親の支えは不可欠である。父や母と二人三脚で現役生活を歩むケースも少なくない。それだけ親の期待に応えることは、子にとっても喜びではあるのだが、それが過度になれば期待はプレッシャーとなり、結果どころか競技を続けることすら、精神的に辛くなってしまうこともある。

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 好きなバレーボールを好きなまま、常に「うまくなりたい」と前向きに臨むべく後押しするには、どう接すべきか。和子さんの檄は、まさに絶妙だった。

 アテネ五輪出場を逃し、その後もしばらく欲しい結果が得られずに、やる気よりも苛立ちが先行していた06年。すべてを投げだしたい気持ちをなんとか奮い立たせ、ひたすらに努力を続けた荒木に、ようやくチャンスが巡ってきた。06年のワールドグランプリで初めてスタメン出場することになったのだ。

2006年のワールドグランプリにて。同じ下北沢成徳OGの大山加奈と抱き合う荒木。その様子を笑顔で見守る木村の姿も ©文藝春秋

 試合前日。高ぶる気持ちを抑えつつ、母に電話をかけ、翌日の試合はスタートで出場すると告げた。

「どうせ1セットで替えられるかもしれないけど、頑張るね」

 娘の弱気な気持ちに、母の答えは想像とはだいぶ違うものだった。

「何言ってるの。1セット持つと思っているの? まずは8点、16点を目指しなさい」

 その瞬間、肩の力が自然と抜けていくのを感じた。当たって砕けるしかない。思い切りやればいい。気負わず臨んだ結果、荒木はその年の世界選手権、さらに翌年のワールドカップでのチャンスをものにし、ついに08年の北京で念願の五輪初出場を果たす。