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 試合を終えた直後は「春高で終わり」と言ってきたのだから、そのまま練習に顔を出すこともなく離れたほうがいいのではないかとも考えた。だが、心残りは同じ3月いっぱいで巣立っていく3年生たちのこと。今年が特別なのではなく、下北沢成徳は例年、春高に出ても、出られなくても、勝っても、負けても卒業式までは3年生も部活に出て1、2年生と練習をするのが伝統ではある。だが「小川先生の最後の1年」を、最終学年として過ごした選手たちは彼女たちだけだ。

 

最後の3年生「“恥”なんじゃないか、と思うようになって」

 1人のバレーボール選手として、高校生としての純粋な春高への思いだけでなく、「先生のため」という過度なプレッシャーも背負ってきた。

 共栄学園高との代表決定戦に敗れた後、自ら涙しながらも泣き崩れる選手を支え、取材にも応じていたのが、主将の武田麗華だった。

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 そして東京予選が行われた11月13日から約1カ月が過ぎた12月。最初は笑顔で話していたが、あっという間だった、と振り返る目から、また涙が溢れた。

「負けた直後は『やってしまった』という気持ちで、ただただ申し訳なくて。1、2年生のためにやらなければいけないことがあるとわかっていても、もう自分たちには次がない。小川先生からずっと、チームのために人として何ができるか、と教えられてきたのに苦しくて。なかなか気持ちが切り換えられませんでした」

 試合翌日の練習、3年生たちは泣きながらボールに触り、パスをした。泣いても泣いても、どれだけ後悔しても取り戻せないとわかっている。それでもどうにもできなかった、と涙をこぼしたのは主将の武田だけでなく、エースの谷島里咲も同じだった。

「成徳での3年間は、大げさじゃなく、春高で勝つための3年間だと思っていたんです。だから最初は負けて悔しいと思っていた気持ちが、だんだん先輩方に対しても、小川先生に対しても、優勝をプレゼントするどころか出場もできなかったことは“恥”なんじゃないか、と思うようになって。小川先生からは負けたからダメだというわけじゃない、と何度も言われたんですけど、でもやっぱり、勝つにこしたことはない。そう考えると、何のために今バレーボールをやっているのか、わからなくなったこともありました」

 拭っても溢れる涙に胸が痛くなると同時に、違和感を覚えた。

 

“最後”という重荷を背負って

 小川監督が下北沢成徳で貫いてきたのは、選手の将来を見据え、今この3年間で勝つことがすべてではなく、この先の将来、次のチームにつながるための「育成」と「強化」の二本柱であるはずだ。だが“最後”という重荷を背負ったばかりに、彼女たちは「勝つことがすべて」とまで自らを追い込んでいた。

 春高東京予選の当日、小川監督もただならぬ空気感、これまでとは違う重さを感じていた、と振り返る。