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髪は頭の皮と共にスポリとかつらのようにぬけ…北海道・美瑛で起きた人喰い熊事件の“おぞましい顛末”

『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』より #6

2023/05/04
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 多くの人が目撃したこの事件は、村人に衝撃を与え、100円の懸賞金がかけられて、10月14日に盛大な熊狩りが催された。その規模は旭川猟友会、在郷軍人会、消防、青年会員ら約300名、勢子が1400名という大規模なものであったが、かの三毛別事件で軍隊が動員されたにもかかわらず、成果なく終わったのと同様に、「わずかに足跡及び腐木の倒壊あるいは蛾食の形跡類を認めたのみ」で、「慰労の挨拶にて隊を解きたるは午後4時過ぎ、解散後執銃者は小鳥を撃ち、実弾の試射等をなし無銃者は葡萄、茸等を採りて帰路に就けり」(「物々しい神楽熊狩【上】【下】」との見出しで掲載、『北海タイムス』大正8年10月24日、25日)と、なんのために集まったのか、よくわからない結果となってしまった。

釣り人4人が喰い殺された

 結局、加害熊は未獲のままであったが、このことが後の痛恨事を誘発することになったかもしれない。ネコがネズミをいたぶり殺すように、人間を手玉にとる猛悪なヒグマが、再び人間を襲う可能性は極めて高い。それを証明するかのような新たな連続人喰い熊事件が、美瑛村で発生するのである。

「〔大正十二年八月、〕上川郡美瑛村市街地の井上旅館主人、井上萬太郎(六四)は、約二十日前、友人と共に魚釣りに出かけ、山中に分け入りたるまま行方不明となり、今日までなんらの消息がないが、その当時は熊の出没はなはだしく、未だに行方不明なのは、たぶん熊に喰われたものらしく、十四日同村民および消防隊全部出動して大捜索中である。なお同行した友人某は、熊の出たのを見たまま萬太郎を捨て帰り、四、五日経てから井上方を訪れ、熊の出たことを話したため大騒ぎとなったものである」――『小樽新聞』大正12年8月15日

 残念ながら、井上がどこの川へ釣りに行ったのか不明だが、美瑛村近郊の川であることは間違いないだろう。

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©AFLO

 この失踪事件から2年後、再び釣り人が襲われ、原形を止めぬほど食い荒らされるという凄惨な事件が起きた。

兵隊の出動要請を断られる

 大正14年6月18日、上川郡美瑛村市街地の雑穀商近藤信一(35)と近所の丸一運送店店員濱岸睦思(23)の2名が釣りに出かけたまま行方不明となった。付近の捜索が行われたが、上流の山中に子連れの熊がいるのを発見して、命からがら逃げ帰り、改めて在郷軍人消防団など100名ほどの捜索隊が鳴り物を鳴らしながら捜索した結果、21日になって村から3里半の山中ルベシベ二股のオチャンベツ川岸で釣り道具や魚籠を発見し、そこから2丁離れた崖の下で遺体を発見した。