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髪は頭の皮と共にスポリとかつらのようにぬけ…北海道・美瑛で起きた人喰い熊事件の“おぞましい顛末”

『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』より #6

2023/05/04

 同時多発的に出現した極めて珍しいケースの可能性も

「大正元年九月十九日午前六時頃、上川郡美瑛村原野二十一線の早川農場及び霜鳥農場の畑地なる陸軍御用地に大熊が出没し、作物に被害が出た。そこで農場の主人が熊狩隊を繰り出し、小作人、渡邊丑之助(四八)他一名が畑際を進み、他の三人が藪に入り追い出しに従事した。午前九時頃、約二丁位進んだところで突然、前方一間ほどの藪の中から大熊が現れて二人組の追撃隊の渡邊に飛びかかり、たちまち噛み殺してしまった。三人組は二、三間後方から狙撃して熊の脇腹に命中したので、大熊は猛り狂って、引き返してきた。二発目の弾丸を込めるいとまもなく、大熊は同農場小作人、伊藤八百吉(四八)に飛びかかり、同人を倒して逃げ去った。人々は直ちに伊藤に応急手当を施したが、二十日午前九時頃死亡した。渡邉の創傷は、大腿部、臀部、腹部、心臓部等に約三十二箇所の噛み傷があり、伊藤は左肺部、腹部、左腕、左大腿部他に六カ所の噛み傷があり、見るも無残な最期であった。加害熊は同所より八十間程追撃したところで、六発目の弾丸が咽喉部に命中し、斃れた。黒毛の牡熊で七歳くらい、目方は九十貫(三百三十七・五キログラム)あったという」――『北海タイムス』大正元年9月22日より要約

 事件の経過を見ると、人間を襲うことになんらの躊躇もなく、また時間的、地理的にも、東川村の一連の事件と極めて近いことや、熊の巨体が前述の目撃証言に合致することなどを鑑みると、こちらが本命の人喰い熊ではなかったかとの推測も成り立つかもしれない。一方で、この事件から2ヵ月後に、以下の記事が掲載されている。

「客月二十五日上川郡美瑛村字美馬牛御料山林において、さきに人を喰い殺せし大熊一頭小熊二頭を捕獲せしことあり、その後なお同所には数頭の熊出没し、本月十一日のごときは農夫泉谷大蔵の仕事中、小屋の下なる掛け莚一枚を熊が引き落としその付近を破壊(後略)」――『北海タイムス』大正元年11月22日

 果たして杣夫3名を喰い殺したのは母仔熊だったのか。それとも小作人2名を喰い殺した巨大なオス熊だったのか。

白昼に事件が起こり、目撃者が多かったことも

 しかし前掲記事を読むと、複数の人喰い熊が、同時多発的に、この地域に出現したという極めて珍しいケースであった可能性も浮かんでくる。

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 その証拠に、一連の人喰い熊騒動が落着した後も、不気味な失踪事件が美瑛村周辺で続発するのである。